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Act0(5)

 

 僕の心臓には歯車が入っている。それはこうしている今も休むことなく回転を続けているのだろう。

 

        意識のビジョンに点在する様々な画像や文章データ。

 

 僕には声帯が無く、言葉を話すかのように口を真似た部分から音声が放たれるだけ。

 僕には意思が無く、考えたことを話すかのように主人の指令を伝えるだけ。

 

 ならば何故? 血も流れていない僕は何故、彼の画像を何度も表示するのだろうか――。

 

 

 

Act1

 

 東洋の歴史ある小国家、“鈴(リン)”。国名の起源は200年程続く王朝による。世界で最も人口が多い大国に隣接している小国だが、一度も属国として他国に支配されたことがない。これは軍事力ではなく、外交力によるところが大きく、代々優秀な外交官や学者が多数輩出されている知性溢れる国でもある。

 現在、文化発展度はそこまで高くないが、それは祖国の伝統に対する国民の“誇り”が発展を拒んでいるからである。

 

 鈴国内で歴史遺産以外、唯一といっていい観光施設。それが「敬和大熊猫園」である。

 大熊猫、すなわち“パンダ”はこの国や隣国にしか生息しない珍しい動物で、その愛くるしい姿を見るために多くの観光客がここを訪れる。

「可愛いっ! ねぇ、見てよホラ!」

 実物のパンダを見て騒ぐ赤いスーツ姿の女。柵と堀を挟んだ先ではパンダがモシャモシャと笹を食っている。

「わかった、わかった。でもやかましいから落ち着こうね」

 隣でつまらなそうに煙草をふかす赤黒いロングコートを着た男。ツバの広いテンガロンハットが特徴的である。

「なによぅ、その言い草。可愛いんだからしょうがないでしょ?」

 赤いスーツの女はせっかくの気分を害されて不満そうだ。

「何が“しょうがない”んだよ。人間の頭くらいならビンタ一発で飛ばしちまう獣だぜ?」

 テンガロンハットの男は隣の女に夢の無い一言を放った。

「しかもな、奴ら物凄い臭っせぇぞ? それはもう、可愛いとかいってらんねぇくらいに」

「……そういうこと言わないでくれます? これでも夢見る乙女なんですけど」

「現実は厳しいものなのよ、お姫様」

 茶化すような女口調で嘲笑う男。スーツの女はムスッとした表情でそれを睨みつけた。

 

“うおぉぉりゃぁぁっ、かかってきやがれいっっっ!!!”

 

 決闘を申し込む男の叫び声が唐突に響く。

 パンダに向かって拳を突きつけているのは黒髪の青年。上はタンクトップ、下は丈が膝下まである長めの短パンというラフな格好。

 パンダはすぐ横で構えている彼を気にすることなく、モサモサと笹を食べ続けている。

「ほら、アレ見てみ? あいつみたいに近づいてみたら切ないほどのリアルを体感できるから」

 シュールなその図を指差して、テンガロンハットの男はスーツの女を促した。

「お断りしますぅ。私はあなたみたいなつまらない人間になりたくはない――っ、

「「は!?」」

 声を揃える2人。彼らの視線の先には、今にもパンダへ飛び掛らんとする見慣れた男の姿がある――。

 

 

 

Act2

 

 “何でも屋”などとあやふやな職業を名乗る『四聖獣』という如何わしい組織がある。

 組織のリーダーは“黄龍(コウリュウ)”という女性で、赤いスーツをよく着ている。他にはツバの広いテンガロンハットが特徴的な“朱雀(スザク)”や、黒髪で冬でも短パンだと噂される“白虎(ビャッコ)”など、リーダーを含めても5人しか存在していない小規模な組織である。

 

 仕事の依頼を受けて鈴国に来た彼ら。だが、さすがにマイナーな組織だけあってかとっても嘗められており、見事なドタキャンをくらってしまった。

 キャンセル料金はガッポリと奪ったが、釈然としない彼らは「せっかく来んだし、パンダを見ていこうよ。ていうか見たい!」というリーダーの強い希望で“敬和大熊猫園”へと足を運んだ――。

 

「とりあえず、刑事事件として扱われなくてよかったわ……」

 木造の平屋に挟まれた大通りで黄龍は安堵の溜息を吐いた。

「しかしさすがは保護動物。まさかあれほどとは……」

 疲れた表情で朱雀は無念の溜息を吐いた。彼の口八丁で奪い取ったキャンセル料で補ってもなお余りある賠償金。今回の旅は無駄足どころか、ただの浪費になってしまった。

「腹減ったよぉ。飯くおう、飯――あ! ラーメン美味そっ!」

 目に入った屋台に元気良く駆け出す白虎。

 楽しそうな彼の背中を見て、2人はさらに深く溜息を吐いて肩を落とした。

 

“誰かー、助けてぇー!”

 

 女性の悲鳴が大通りに響く。

 朱雀と黄龍が顔を上げると、長い黒髪を靡かせながら駆ける女の姿が目に入った。女の後ろでは、強面3人が何か叫びながら走っている。

「助けて、助けてください。誰か……」

 息を切らしながら駆けていく長い黒髪の女。彼女とそれを追う強面3人が朱雀と黄龍の横を通過していく。通り過ぎざま、

「ユンロン(雲龍)様、お待ち下さいっ!」

 と叫ぶ強面の声が耳に入った。

「――助けないの?」

 それらの後姿を見ながら質問する黄龍。聞かれた朱雀は何事も無いかのように平然としている。

「たぶん助ける――が、暴漢に追われている訳ではないくせぇし、状況を探る為にも今は関心が無い風を装った方がいいだろ。あそこから回るぞ」

 前方に見える路地を指差しながら、朱雀は冷静に答えた。

「――あのね、スザ君。もう手遅れみたい……」

 黄龍はそう言ってガックリと額に手を置いて項垂れる。

 嫌な予感しかしない朱雀の背後では

「ウァっハハハ! 俺の勝ちだぁぁぁ!!」

 と白虎が勝利の雄叫びを上げていた――――。

 

 

 

 

Act3

 

 路地を曲がって木造家屋の群れを抜けていくと、その一角に今にも崩れてしまいそうなボロボロの平屋がある。現在は使われていないその平屋には、「賢老会」の看板が残っている。

 新しい任務は護衛ということなので、危険回避のため(邪魔なので)黄龍は鈴国を発たされた。

「変な気は起こすなよ〜」

 そう釘を打つ彼女を面倒臭そうに見送って、朱雀は現在、依頼者と2人でボロボロの平屋の中にいる。制御不能な“虎”は今頃屋台でラーメンを平らげている頃だろう。

 長い黒髪の女は勝手を知っている様子で平屋の台所から湯飲みを出し、茶を淹れた。水道が未だに生きていることは不思議だったが、彼女曰くここは“隠れ家”として時折利用する場所なのだという。

 置かれた湯飲みから湯気が上がっている。

 庶民じゃ滅多に飲むことができない高級な茶に舌鼓を打ちつつ、朱雀は長い黒髪の女から事情を聞いていた。そして事情を聞くたびにそれが「単純」な内容であり、尚且つ「相手が厄介」だということを感じた。

 

 長い黒髪の女の名は“ユンロン”。彼女は“賢老会”というマフィアの令嬢で、先程の強面3人は賢老会の組員。家を脱走した彼女を連れ戻す為にああして白昼の大通りを駆け回っていたらしい。そして、つまり白虎が瞬時に殴り倒してしまった彼らは893であり、それに手を出した場合非常に面倒なことになる。

 賢老会は朱雀達のような如何わしい人種にはそこそこ名が知れている組織。頭であるリウ(柳)は広い人脈を武器にするかなりのやり手と聞く。どんな駒を抱えているか解ったものではない。

 その賢老会の令嬢であるユンロンが身内に追われている理由は、「愛の告白」のため。

 ユンロンには婚約者がいるが、それは父と母が決めたものであり、彼女の意思ではない。

 彼女には学生時代から恋心を抱いている男性がおり、その人に今まで何度もアタックしては断られている。一度は諦めたものの、いよいよ婚約を果たす時が近づいて「最後にもう一度だけ会いたい」という想いが強くなったのだそうだ。

 我が儘で迷惑な話かもしれない。だが、「一目会うだけでもいいの――」と懇願する彼女の想いと瞳に負けて、朱雀はその場所までの護衛を引き受けた。きっと何かしら手馴れが出てくると予想されるので、白虎も満足して拳を打ち鳴らすことであろう――。

 

 

 

Act4

 

 白昼の大通り。屋台の香りに誘われて、プラスチックの簡易ベンチで麺をすする白虎。

 東洋国家の屋台は幾つも並んでいるイメージが強いが、ここも例に漏れず、複数の屋台が並んでいる。日本で言えば「吉乃家の隣にモスナルド、その隣にはサイザリア」という状態に等しい。

 ちなみにこの国で“モスナルド”と言えば日本でのちょっとお高いレストランに相当する。鈴国が諸外国から発展途上国のレッテルを貼られているのもしかたがないことかもしれない……。

「うめっ! おっちゃん、これ美味ぇぇぇよ!!」

 飲み込むように麺をかっ喰らって、白虎は屋台の店主に空の器を突き出した。

「兄ちゃん、良い食いっぷりだぁ。これで20杯よ。お金と腹は大丈夫なのかい?」

 汗と麺ツユの跳ねっ返りで輝く、間もなく老年に入ろうかという店主は黄ばんだ前歯を惜しみなく見せて笑った。

「ガハハハっ、余裕、余裕!」

 箸を片手に「待ちきれん!」といった様相。祖国の味に良く似た薄味の麺を白虎はこれでもかと堪能している。

「俺っちにもお前さんくらいの小僧がいたんだが、そいつも食欲――」

「おっちゃん、早くおかわり!!」

「あ……うん」

 店主は言いかけた言葉を飲み込んで、満面の笑みを浮かべる青年に大盛りを渡した。

「ぬ!」

 器を受け取ろうとした白虎が振り返る。背後を何か“強いもの”が通った気配を感じたからだ。

「どうした?」

 店主は不思議そうに白虎の視線の先を見た。

 そこには薄赤いチャイナドレスに身を包んだ1人の美女の姿がある。

 店主は年甲斐も無く顔を緩めていたが、白虎は眉間にシワを寄せて犬歯をむき出し、威嚇するようにその姿を追っていた。

 美女は屋台の真正面にある小路に入っていく――――。

 

 

 

 

 

 

Act5

 

 古い平屋の中。ユンロンは嬉しそうに意中の男性のことを語っている。

 朱雀としてはさっさとここを出て目的地に向かいたい(話が嫌なのではなく、留まっていると危ないから)のだが、恍惚する乙女の妄想に中々割り込めない。これがいつもの相手ならお得意の現実主義を叩きつけて切り上げるのだが……。

 

 ――――!

 

 違和感に気がつき、置いていたテンガロンハットを被る。突然立ち上がった朱雀の姿に戸惑うユンロン。

 おかしい。一端の組員なら平屋に入ってくる前に判別できる。だが、現在進行形で平屋の中を進んでくる淀みの無い歩調は明らかに「気配」が薄い。

 侵入者は間違いなく“強者”である。

 朱雀は赤黒いロングコートの裏から拳銃を取り出し、

「そこの裏に隠れていてくれ」

 とユンロンを促した。

 

 静かにその女性は姿を現した。脚線美を強調する過度に深いスリット。薄赤いチャイナドレスを着たその女性は無表情にテンガロンハットの男を見た。

「情報に無い不審人物と、本棚の裏にユンロン様を確認。 宣告します。不審者は今すぐこの場を立ち去ってください。攻撃の開始は5秒後です」

 そう言って立ち止まるチャイナドレスの女性。表情にも姿勢にも不自然さは無いが、むしろ不自然じゃなさ過ぎてもの寂しい印象である。

「おっと、女か。参ったね」

 ちょっと嬉しそうにテンガロンハットのツバを押し上げる朱雀。

「あの、気をつけてください。彼女は人間ではありません……」

「ん、何だって?」

 ニヤけたまま本棚の後ろに隠れるユンロンを見る。

「猶予限界時間です。対象を強制排除します」

 

                ――――――――!!

 

 鼓膜に音とは思えぬ轟音が連続して叩きつけられる。

 破裂するように砕け飛ぶ木造平屋の壁。

 木片に混じって赤黒い影が宙を舞って飛び出す。

 平屋に隣接しているコンクリートの壁に激突して、赤黒い影はその場に倒れた。

「――っ朱雀さん!」

 爆風と共に姿を消した護衛の名を呼ぶユンロン。

「ユンロン様。僕と共に屋敷にお戻り下さい」

 人の声に良く似せた音声でチャイナドレスの女性は話す。

「自発的になられない場合は――催涙ガスを使用させていただきます。返答猶予は5秒」

 そう言って押し黙る機械仕掛けの女性。機械に融通は無い。どんなに懇願しても、5秒後には宣言どおり、容赦なくユンロンを眠らせることであろう。

 どうにもならない事を悟り、涙を流すユンロン。心の中であの人に「ごめんなさい……」と呟いた。

「5秒が経過。強制手段に移行します」

 右の手がカクリとはずれ、むき出された手首の切り口が銀色に輝く。

「――――」

 涙するユンロン。

 チャイナドレスの女性はプログラムの指令に、3秒ほど逆らった。

「赤く染まる猶予を、ありがとう……」

 生体の反応。

 風が吹きぬける壁を向く。そこには先程排除したはずの障害が立っている。

 突き出したデザートイーグルから右の眼球までが赤く染まっているその男は

「機械なら、遠慮はイラねぇな」

 と不敵な笑みを浮かべて引き金に掛けた人差し指を動かした。

「攻撃動作を確認。ウォールプログラム、発動――」

 

 放たれた赤い弾丸。その直前、コンマ数秒の時間差で左腕を突き出す無表情な女性。

 

 弾丸は虚空を行く。

 だが、虚空とはいっても、そこには微小な塵芥が浮遊している。まして先程の衝撃波で目に見えるレベルの木片まで浮いている状況。

 衝撃波は言わずもがな、高速で動き、重なる“空気”を意味する。それのみでは相当な出力が無い限り物的な障害力を得るには至らない。

 では、物体の進行を防ぐ場合どうすれば良いのかというと、どんな微小なものでもいい。進行上に存在する物質にそれがぶつかればいいのである。

 例えばこの状況でそれは充分なほどに浮遊している。逐一木片を貫くような労力を浪費しながら弾丸は虚空を進む。

 木片一つで弾丸は止まらない。

 だが、10枚以上連なる木片を貫通するのはどうであろうか。まして、現在の状況と距離では、その枚数は10枚じゃ1桁ほど足りないのである。

 

 赤い弾丸は前進する勢いを失い、やがて停止、落下した。

 落ちた弾丸は元の鉛色に戻っている。

「おわ……っと」

 再び吹きつける突風を受ける。それは先程の爆風とは違い、より局地的に、より瞬間的に発生した衝撃の余波。予想を超える対応力に思わず素の表情で戸惑いを見せる朱雀。それでもテンガロンハットは押さえている。

 木造の壁を破壊し、人1人を5m以上吹き飛ばした先程の突風。コンクリートの壁さえなければ、より遠くまで吹き飛んでいたであろう。

 空中でどうにか簡易な受身を取ったものの、衝撃は全て受け切れていない。

 赤い弾丸の疲労と、激突の衝撃。本音を言えば「だるいっ!」といって倒れこみたいところなのだがそうもいかない。

「排除します」

 その言葉と共に振るわれる左腕。細く、局地的に発生する衝撃波の鞭。無色透明・亜音速の波は目視で回避することはほぼ不可能。朱雀も視覚を頼りに回避するタイプだが、その性能が常軌を逸していることと彼の並外れた“勘”が不可能を可能にした。

「くぁっ……!」

 当った訳ではなくともダメージが入る。もはや自分の急な動作が敵の攻撃に等しい。

「――嘗めるなよ」

 口端を上げて笑みを浮かべた。赤黒いコートの裏からもう一つの拳銃を取り出す。

 限界を超える前にヤレばいい……朱雀がそう覚悟を決めた時。彼の背姿に影がかかった。

 

 破壊された壁跡に立つタンクトップに短パンの青年。

 乱暴に、短く切られた黒髪が日の光に照らされている。

 

 振り返った朱雀は光に照らされた表情を向けて、その青年が最高に喜ぶ言葉を送った。

「この娘はロボットだ――実に“強い”、ね」

 言いながら隣で呆然としているユンロンの手を取る。「急ごう」、そう呟く朱雀は彼女の手を引いて平屋を出た。

「新たな障害――即座に排除してユンロン様を追跡します。警告は行いません」

 ビリビリと音をたてて震える木造の平屋。空気が細かい振動を繰り返す。

 両足を広げてスタンスを大きく取る白虎。両拳を強く握ろうとするが、その衝動はインパクトの瞬間まで我慢する。

 咆哮する虎のように眉間にシワを寄せ、大きく口を開いて。白虎は全身の毛を逆立たせ、後ろ足に力を込めた――――。

Act6

 

 昼食時を過ぎて客が減った屋台。ラジオを弄る店主の元に1匹の野良犬が近づいてくる。

 いつも決まった時間にやってくるこの犬に、麺ツユに飯を入れた簡単な猫ご飯をくれてやる。それが店主の日課なのだが、そこに刻みネギをサービスするのはやめたほうがいい。

 

 ふと見上げた先。大通りを挟んだ小路の奥に巻き上がる粉塵。

 店主は地に響く重低音ともうもうと上がっている砂塵を見て、先程その小路へと駆けていった青年の身を案じた――。

 

 

 

Act7

 

 周囲を大人しく舞っていた木片が吹き飛ばされる。微小な固形物も逃さず吹き飛ばす衝撃波が竜巻に近い突風を木造の平屋に発生させる。

 板が軋み、割れる音が平屋の周囲に響く。

 だが、平屋の中はそれほど生易しい状況ではない。

 

 ただ――轟音。

 

 壁に空いた穴に風が集まり、渦を巻く気流が発生している。

 そのただ中に立つ虎のように雄々しい男。

 竜を目の前にした騎士はどうするであろうか。あるものは恐怖に震え、あるものは覚悟に震え……そしてあるものは、戦いそのものに身を震わせるであろう。

「――――っっっぁぁぁあ!!!!!!!!」

 轟音に逆らう音の波。それは昂りを発散する虎の咆哮である。

 対して、歯車の心臓が回転を速める。

 身体という宇宙で数兆個のナノサイズギアが噛み合う。文明の最先端である彼女は左腕を立ちはだかる野獣へと向けた。

 それに従うように吹き荒れた、突風という名の“衝撃波”が白虎を襲う。

 圧力に耐え切れず、木の葉のように平屋の屋根はバラバラになって弾け飛び、残されていた古い家具が壁に激突する。

 今の彼女に手加減の必要は無い。今の優先事項は“保護”ではなく“除外”。

 両手で地を掴んで吹き荒れる暴風に耐える白虎。

……オオオオオオオオオオオオをっ!!!!!!

 飛び散る木片が彼の皮膚を引っかきかなら飛び去っていくが、その程度で彼の闘志が潰えることは無い。

 溜め込んでいた両足の力を解放して“暴風の間隙”を突く。一足飛びに2人の距離は消え去った。

 

 目も口も限界まで開く。振りかぶった“右腕”には太い血管が浮き出ている。

 左の腕を振り払う。瞬間的で瞬発的な局所衝撃波は亜音速の“鞭”。

 

 激突する2人。それぞれの体はそれぞれ、尋常ならざる衝撃のままに弾き飛ばされた。

 

 

 舞い散る粉塵――――。

 先程までは平屋だった木屑の山。外にはひび割れたコンクリートの壁。

 コンクリートに打ち付けられ、平屋の木片で全身を刻まれた白虎。手負いの虎は鼻血を流しながら塵芥の霧をゆっくりと歩いて行く。

 木片の山で立ち止まる。

 彼の視界には、ボロボロになってしまった機械仕掛けの女の姿がある。スリットが深いチャイナドレスは無残にも破け、銀色に光る腹部には時折青白い電流が走っている。

「強かったぜ、お前――――」

 一言だけ強敵に送り、男はその場を去った。

 

 

 近隣の住民が何事かと崩壊した平屋に詰め掛けた。吹き飛んだ屋根が自宅の屋根を貫いたと老夫婦が喚き散らしている。

 

 晴れていく視界。薄れていく情報。映し出される画像はあの人の姿。

 止まった歯車はもう、回らない…………。

 

 

 

Act8

 

 町の小路を左右に曲がりながら行く2人。

 やがてたどり着いた貧相な宿。ユンロンはその前で立ち止まると、朱雀を見た。

「ここまで、ありがとう御座いました。心から感謝いたします」

 深々と頭を下げるユンロン。

「お節介に礼はいらないよ。で、ここがその人の――」

 マフィア、それも並ではない大組織の令嬢が惚れた相手はボロボロの宿の跡取り。それこそ先程までいた平屋が可愛く思えるほどの宿である。

「悪いけど……君のお父さんが反対するのも理解できるよ」

「――貧困でも構いません。家を追い出されても構わないんです。それほど、私は彼を愛しております」

 ボロボロの宿をうっとりと見つめているユンロン。視界には、それが王子様の住む宮殿にでも映っているのであろうか。

 彼女は暫くそれを眺めてから寂しげに俯いた。

「――――愛は人を盲目にするって聞くよな。でも、何が現実かなんて決めるのは結局人の心だろ? だから、君が好きだと思うのなら、その人はきっと王子様さ」

 爽やかな笑顔で彼女の不安を拭う朱雀。ユンロンは彼の顔を真っ直ぐに見た後、元気に頷いた。

「盲目なのは案外、君のお父さんの方かもな……」

 そう言い残して歩き出す。朱雀は後ろ向きに手を振った。

 それに答えて再び頭を下げるユンロン――――。

「あれ、君は――」

 朱雀を見送っているユンロンに、若い男が声をかけた。

「パク(朴)さん!」

 パァッと明るくなってその男に駆け寄るユンロン。パクと呼ばれたその男は戸惑った様子で彼女を見ている。

 立ち止まり、自然な動きで物陰に隠れる朱雀。背中でそれを聞きながら、咥えた煙草に火を着ける。

「パクさん、私、やっぱり諦めきれません! どうかもう一度、考えてはいただけないでしょうか!?」

 パクにすがるユンロン。朱雀としてはここで玉砕してもらってそれを慰めるポジションに収まりたい気分だが、まぁ、ここまで協力したんだから成就して欲しいとも思う。女性が幸せになることは他に勝る幸いだが、何よりも彼は「無駄」が大っ嫌いなのだ。

「――ごめん、ユンロン」

「え……」

「やっぱり、君とは一緒になれないよ」

「そんな……どうして?」

 背後から残念なやり取りが聞こえる。だが、それならそれでアドバンテージ有り。「やれやれ」と呟きながら鼻から煙を吐き出した。

「“どうして”って? 何度も言っているだろ、“男とは結婚できない”って」

 

            『・・・・・・・・・・・・』

 

 煙草の灰がポトリと地面に落ちる。彼には少し頭を整理する時間が必要だ。

「私、愛しているのよ! 例え体は男であっても、あなたを愛しているの!」

 ユンロンの言葉を聞いて、朱雀は「まぁさかねぇ?」という僅かな期待を捨てた。

 とりあえずこれが笑える状況ではないということと、自分へのアドバンテージは“皆無”であることが判明。

 テンガロンハットのツバを深く下げ、無言のままその場を立ち去る朱雀。

「そりゃ、親父も必死になるわな……」

 掠れるような声でそう溢して、彼は入り組んだ小路に消えて行った――。

 

 

 

 

Act9

 

「何よ、いい話じゃないの。彼女の愛は正に女のそれよ」

 ピンク色のTシャツの襟元をパタパタさせて熱気を飛ばす黄龍。日本は今、夏真っ盛りである。

 いつもなら汚らしく思えるアジト(?)が今日はまだまともな物件に思えてくる。

 左右の高層ビルに日照権――なんのソノだ。

「格式や性別などの障害に負けず、貫く“愛”。私は憧れちゃうけどなぁ」

「愛で飯を食えたら戦争だってなくなりますわ――ってな」

 事の顛末を聞いて頬を染める黄龍。朱雀は口を尖らせた裏声で嫌味を呟いた。

「でも、愛があるから戦争はおきるのよ? 大切なのはそれを誤らない“心”じゃなくて?」

 さりげなく自分の主義を小馬鹿にされた気がしたものの、黙るしかない朱雀。黄龍はここぞとばかりに、黙った彼の頬を人差し指で突っついた。

 2人が座る食卓の横には、ソファを独占してイビキをかいている白虎の姿がある。

 

 

 床の上に乱暴に脱ぎ捨てられた丈が長い短パン。

 壁には赤黒いロングコートが丁寧に掛けられている――――――。

 

 

                    カントリー・ベル: End