$  メーデン皇帝領・月夜の剣銃編  $

 

 

               そこには一人の剣士が立っていた。

 

 夜空の下、瞬く星に照らされて。刃は濡れているかのように輝く。上弦の月は血に染まった彼女の甲冑に濃い影を落としていた。

 眼下に落ちていった友の返り血は未だに水気を帯びている。彼女は手甲についた死闘の痕を嬉しげに舐めた。

 妖艶なその剣は求めるモノを麗しき彼女に与え、淫乱なその剣は過ぎたるモノを卑しき彼女に与えた。

 

 

           憎しみは憎しみを。悲しみは悲しみを。

 

 

 闇夜に振るわれた剣から弧を描いて血液が飛び散る。降り注いだ赤い雨が次々と白城の塔を染めた。

 儀式を見届けた4人の剣士達は跪き、血の剣帝に対する忠誠を誓った。

 ディスペアは嬉しそうに微笑み、やがて沈黙する。

 

       この日、再び彼女の時代が始まることとなる――――

 

 

 

 

Act1

 

 メーデン皇帝領は東を平原、西を海岸沿いの絶壁に守られている。欧州から少し飛び出した半島のような地形に建国されており、陸路からも海路からも侵入は難しい。

 唯一の国外交通手段である皇帝鉄道も厳重な監視が施されており、また銃火器の持込みにも厳しい。玄武は警備責任者である依頼者・エリーナの協力無ければ侵入も不可能であっただあろう。

 また、朱雀が「2回程チェックを受けている」といっていたが、その勘は正しい。女性権限尊守のためサーモグラフィーなどは用いないが、相応な方法で男性の侵入を阻む検査は同時に銃火器のチェックも行っている。

 皇帝領内は刀剣などの刃物も当然持ち込み不可なのだが、何よりも皇帝領としては“銃火器”の持込みを嫌っている。理由はやはり、「皇帝への狙撃」。遠距離からの攻撃に対しては護衛が難しいからである。

 それでも過去、銃火器の持ち込みは何度かあった。だが、皇帝が暗殺されるような事件は発生していない。

 メーデン皇帝領の名物であり武力として『皇帝騎士団』の存在がある。皇帝領内で警備を行っている者の腰にサーベルがあったが、彼女も「騎士団」の一員。と、いうより国内の警備を行う全ての女性は「騎士団」の団員なのである。

 彼女らは各国から集まっている剣の達人。銃弾を剣で弾く猛者も存在する。

 なぜ彼女らが集まってくるのかというと、「皇帝騎士団」が世界有数の国家戦闘集団であり、女性限定の戦闘組織としては他に類を見ないほどの完成度と権威、知名度を持つから。

 皇帝領の独立以前から続く伝統に憧れ、騎士団に志願する者は多い。また、騎士団の団員は皇帝の目に留まりやすいことも主な志願理由の一つ。

 

「騎士団の噂はかねがね聞いているさ。なんつっても美女集団でも有名だからねぇ」

 紅茶の甘い香りを嗅ぎながら朱雀はほぅっ・・・と嬉しそうに溜息を吐いた。飴玉を出したので、声はいつもの男声。

 高層ビルの一室。

 地上27階に位置する部屋からの眺めは壮観、爽快。広大な自然も美しいが、整頓された文明の英知が立ち並ぶ姿も見ごたえがある。

 あえてアスファルトがむき出したままの壁は冷えた印象を部屋に与え、黒色の低いテーブルやソファ、TVラックなどが「無機質」な世界を演出している。フローリングの床に敷かれた薄黄色のカーペットはその中でも目立つ優しさで、部屋全体が寂しくならないように空間を守護する。

 “デキる一人暮らしの女が住む部屋”というメッセージを掲げるかのように整った部屋はエリーナの住居。仕事を終えたエリーナと合流した朱雀と玄武はここで詳しい依頼の内容を聞いている。

「それにしても地味に凄いわね、コレ。舐めているだけで声が変わるなんて……」

「やつの“胸”もあいつの発明さ。そういうのが得意なんだよ、あいつ」

 女装の仕組みを聞いて「へぇ〜」と感心しているエリーナ。視線を横に移すと、そこにはガラスに向かって何やら腰をクネクネと動かしている玄武の姿がある。

「……何をやっているの、彼?」

「さぁな。ああいうのも得意なんだよ、あいつは」

 カップに口をつけて慣れた様子で受け流す。玄武の奇行は今に始まったことではないらしい。

「あはははっ。得意って、踊りが得意なの?」

 顔を緩ませるエリーナ。褐色の肌にえくぼ。人の目を留める朗らかな笑顔である。

 

 商談であるはずの会話は明るい。依頼者が「人殺しも請け負う裏社会の人間」と話していることを忘れてしまうほどの空気。

 朱雀は商談の場をただの事務的なやりとりにはしない。彼らが受ける依頼は必ずや何か「公に言えない理由」が存在するはずであり、そこにある依頼者の感情、決意からその依頼がどういった“質”のものなのかを判別する。

 彼らは“何でも屋”とはいってもあくまで“紛い物”。本物ならそれこそ誘拐、強姦から虐殺の依頼まで、“質”を問わずに引き受けるであろう。

 だが、彼らは仕事の“質”を選ぶ。それは「善悪」であったり「興味」であったり、個人によって異なるが、大まかに「精神的に気にくわないことはしねぇ!」の考えは共通。場合によっては依頼者をターゲットにすることもあるし、ターゲットを救うこともある。

 彼らのポリシーとして、依頼の前にその“質”を確かめることは重要だが、そのためには依頼者の「性格」や依頼に対する「感情」をある程度把握する必要がある。

 朱雀は相手の「本音」を引き出す技術に長け、それを的確に把握する“洞察力”にも優れている。商談の場が緊張していると相手は「理性」で考えたことを話す。これでは本音も何もないので、場を弛緩させ、相手が「感情」で想ったことを話してくれる状況を作り出すのである。この丁寧な配慮は朱雀がいつも当たり前に行っている癖のようなもの。

 ただし、朱雀は女性が関らない依頼などを「心の底からどうでもいい」と考えているので、そういった場合は“物の価値を判断する物”を積んで彼が依頼に求める“価値”を高めるしかない。

 

「ここって禁煙?」

 朱雀は緑色の箱を出してちらつかせる。

「ええ、ここは禁煙よ。ダメなのよね、臭いとか……」

 エリーナは少し怪訝な顔で答えた。

「OK。じゃぁ、煙草臭い人も嫌い――?」

 ばつが悪そうな表情で聞く。

「別に。同僚の娘もほとんど吸ってるし。それに、私も昔はやってたから」

「へぇ、そうなんだ。なんでやめちゃったの?」

 箱を弄くりながら聞き返すと、エリーナは少し考えてから

「皇帝陛下が煙草を吸う女が好きだって聞いたからよ」

 と、答えた。

「あれ? 皇帝嫌いなの?」

 意外な返答なのでちょっと驚いた様子の朱雀。

「ねぇねぇ、トイレどこ?」

 会話に割り込んで、玄武がモジモジしながら聞いてきた。

「トイレはそこの黒色のドア」

「アレか! じゃ、お借りしまぁ〜す」

 丁寧に礼をしてから、玄武は指差された黒色のドアに駆け込んだ。

「綺麗に使ってね。…………彼って、何歳?」

 挙動や150ほどの身長から、もしかしてかなり低年齢なのかとエリーナは朱雀に問う。

 聞かれて「ん?」と戸惑い、指をおって数える朱雀。しばらくしてから「たぶん……」とこぼして

「23か24かな。まぁ、いつもは180以上あるからあんま感じないけど、今の身長じゃ確かに子供に見えるね」

 朱雀の答えに「そんなにいってるの!?」と驚くエリーナ。

「子供っぽいというか、無邪気なんだよ。でも、馬鹿だけど頭は良いよ」

「どういうこと……?」

 エリーナは困惑して首を傾げた。

「そのままの意味さ。それよりさっきの話。皇帝嫌いならなんでこの国にいるんだい?」

 あまり興味がない話題なので話を変える。

「嫌い? 皇帝陛下は嫌いじゃないわよ。ただね、皇帝陛下が公言している“好み”に媚びるのって、なんだか嫌なの」

「なぁんだ――。別にいいんじゃねぇの、好きな人が“好き”と言っていることをしたって」

「どのみち煙草は部屋が黄ばんだりするから……」

「いやいや、コレの話じゃなくってさ」

 緑色の箱を指で叩いて会話の方向を修正する朱雀。

「――皇帝陛下とかじゃなくてね。“強くなる”には煙草は吸わないほうがいいでしょ?」

 エリーナは頬杖をついて、明らかに“小”ではないトイレの住人を気にする。

「あらら、おかしな話じゃん。“皇帝騎士団”の一員が“皇帝とかじゃなくて”とか」

 その言葉に、エリーナは思わず朱雀の顔を見た。

 朱雀と視線が合うと、彼の眼光が遥か天空を舞う“鷲”のような鋭さを秘めていることに気がつく。器用に会話を操るその青年には、猛禽のそれに似た強さが隠されている。

 ほんの一瞬だが、エリーナには彼と目を合わせた瞬間が数秒にも感じられた。

「親衛隊ってやつは主君の為に“強くなる”ものだろう? 君らなら皇帝の為にさ」

「――さっきから気になってたんだけどね。この国では“皇帝陛下”と言わないと睨まれちゃうわよ?」

 横髪を左手で梳きながら、やや鋭くエリーナは言葉使いの変更を促した。

「失礼。敬うのは不慣れなもので……」

 両手を外側に向けてヤレヤレと首を振る朱雀。その様子を見て、エリーナはクスリと笑う。

「あなたが言うとおり、今の私が強さを求める訳は皇帝陛下じゃないわ」

「依頼はその“訳”に関係があるのかな」

 エリーナは窓の外を一度見てから再び朱雀と視線を合わせる。

「――“メーデン7騎士”を知ってる?」

 朱雀は「名前を聞いたことがあるくらい」と頬杖をつきながら答えた。

「メーデン7騎士は騎士団をまとめる各部隊長クラスの騎士のこと。彼女らは世界各地から集まり、選抜された3576人の騎士団からさらに厳選された精鋭。7騎士は一般団員達のリーダーでもあり、目標でもあるわ……」

 そう言うとエリーナはソファを立ち上がった。彼女は壁に掛けられた制服を手に取り、制服に付いている“翼竜の紋章”を誇らしげに指差した。

「エリーナ、君はつまり」

「ええ。私はその中でも“ゲートキーパー(門番)”の役割を持つ騎士よ」

 驚いた表情で彼女を見上げる朱雀。「凄ぇな」と言われて少し照れくさそうにエリーナは横髪を梳いた。

「私の“ゲートキーパー”も含めて、称号は全部で5つ。その中でも“ガード(護衛)”は特に重要な役割だとされているの」

 壁の服掛けに制服を戻し、エリーナはソファに戻って話を続ける。

「“ガード”は城内の皇帝陛下周辺守護を主な任務としていて、7騎士である3人によって構成されている。彼女達の中心人物は騎士団全ての中心でもある“皇帝騎士団長”。つまり、“ガード”は他の役割とは格が違う称号ってことね」

「騎士団長、か……」

 言葉の最後に少し暗い表情を浮かべたエリーナを見て、朱雀はそれが嫉妬による表情ではないことを悟った。

「団長の腕は相当なものなんだろ?」

「そうね、なんと言っても団長だもの」

「“君が勝てない”くらい腕がたつ?」

「――――彼女は普通の人間では勝てないくらいに……強いわ」

 エリーナは影のある目で窓の外を眺めた。窓に映る近代的な景色も、彼女の瞳には異なったものに感じられる。

「団長を目指すのは憧れかい? いや、違うか。それなら俺達に依頼する意味が無い」

 朱雀はやや体を前に倒して視線を逸らした彼女の横顔を見つめた。

「私じゃ勝てない。どんなに強さを求めても……私は無力だから、止められない……」

 悔しさか悲しさか。彼女は唇を震わせて、ギュッとそれを噛み締めた。そっと瞑られた瞳から涙が溢れてくる。

「“団長”ではなく、“彼女”が目的か……憎いから殺して欲しいってことでもなさそうだな。できれば理由を聞かせてほしい」

 できるだけ落ち着いた声で語りかける朱雀。

 冷静な彼の言葉に答える前に、彼女の頬を涙が伝った――

 

               “バ・ジャー!”

 

 水が勢いよく流れる音。「カラカラカラカラ……」という音の後に封印の扉は開かれた。

「うひゃぁ! やっとすっきりしたよぉ〜〜」

 そう言いながら駆けてくる背が低い1人の女性、もとい男性。

 Fカップの胸を弾ませて、彼は朱雀の元へと寄ってきた。

「いやぁ〜ゴメン、ゴメン。大変長くなってすまヌです」

 HAHAHAと陽気に朱雀の横に座る玄武。朱雀は大きく溜息を吐き出して項を垂れた。

「……玄武、“KY”って言葉の意味を知ってるか?」

 朱雀は額を押さえ、暗い調子で隣の美青年に問いかける。

「ケーワイ?」

 玄武は不思議そうな表情で小首を傾げた。

「“空気が読めない奴”って意味だよ、お馬鹿さん」

 呆れたような朱雀の言葉に「あ〜」とよく解っていない表情を浮かべる玄武。しばらく呆けた後、気がついたように「バカ言うもんがバカなんじゃい!」と言い返した。

 そんな空気ヨメ夫の額をデコピンしてからチラリと彼女の様子を窺う。そこには潤んだままの瞳で「アハハッ……」と笑う可愛らしい笑顔があった。

 朱雀は隣に座るヤツの頭をなでて、ニヤリとした笑みを向ける。

 玄武は赤くなった額を押さえながら、再び疑問符を浮かべていた――。

 

 

 

Act2

 

 白い壁面。背後の海面に反射する光によって、遠くからは影が水色に見え、やや灰かかった白色の壁面が淡いコントラストを成す。

 外壁を雲に例え、その色合いから“雲海の城”と呼ばれるメーデン皇帝居城“カントラック”。フット民族の言葉で「栄華」を意味するその城は国の特性上、皇帝以外の男性は肉眼で実物を見られないため「女性のもの」といった認識が高い。故に「城界の女帝」などと城マニア達の間では設定されている。

 

 城内の中心通りである「白柱回廊」。無数の白い柱が続くこの直線回廊に沿って各種施設は立ち並び、その終着点は皇帝居住区を通り抜けた先、広がる西洋を見渡せる「大庭園」である。

 天気の良い日など、この大庭園はよく皇帝に活用される。昼には昼食、夕刻には沈む夕日を眺めながらのロマンチックな一時を。夜には広大で障害が無い景色を利用した船からの花火打ち上げなど。皇帝ロマンチック伝説の1つ、「海から1万発の花火」もここで行われたものである。

 だが、皇帝は基本的に一途で、その心は案外と繊細。

 

 時刻は夕刻。間もなく日も落ちきる時間帯。

 皇帝は珍しく共の女性を連れず、城内にいた。周囲の者はこういった状態を「珍しい」などと噂しながらも、なぜそうなっているのかを大体は理解している。

「陛下、食事の用意が整いました」

 豪壮な城内でも一際豪華で天井が高い20畳ほどの広さがある部屋。どんな大男が寝るのかとツッコミたくなるようなベッドに向かって女騎士が跪いている。

 肩ほどの長さで整っている赤色の髪。顔つきから気の強さを感じる美女である。

「――そうか」

 不必要に広いベッドから起き上がり、皇帝は気品溢れる動作でそこから降りた。

「いつも知らせてくれてすまないな。感謝するぞ、ウィンガル」

 皇帝は無駄に美しい靴を履いて、服装をやたらと豪華な鏡で整えている。

「陛下、本日のお相手がお決まりでなければ、どうぞこの身をお使いくださいませ」

 赤い絨毯に跪いたまま、女騎士は胸に手を当てた。

「気を遣わせてしまったか。しかし、今日はそのような気分ではないのだ――。その心だけ受け取っておこう。もう下がって構わないぞ」

 値段の想像もつかないほど煌びやかなガウンを纏って、皇帝は鏡の中で覇気無く佇む己を見つめた。

「出過ぎたことを申しました。失礼いたします」

 女騎士は立ち上がり、踵を返して皇帝の寝室を去った。

 白色で金の装飾が絢爛に輝く扉を閉め、しばらく歩いて立ち止まる。

 皇帝が共を連れない状況は珍しいが、その理由は二択。意中の相手に誘いを断られたか、もしくは後日に約束を取り交わしたか……。

 いずれにしろ今、皇帝の心の中にはどこぞと知れぬ女の影がある。

「――最後の“月夜”から1週経つか。そろそろ腹が減った頃だろう?」

 彼女は背中にある大剣の柄を掴み、愛おしそうにそれをさすった。首元には“翼竜の紋章”が青銀に輝いている――。

 

 

Act0

 

 かつて、仲の良い3人の女騎士がいた。

 一人は強く、一人は美しく、一人は優しいその騎士達は、メーデンという国の騎士団を率いる“7騎士”の中核であった。

 最も強い女騎士は他の2人達からすると若干は見劣る器量。だが、騎士団長である彼女は皇帝との夜を他の騎士達よりも長く過ごしていた。

 強くて人望がある女騎士はどこか神秘的で、口数少ないが無言でも周囲に多くを語れる器を持っていた。皇帝はその姿に高貴さと精神の美しさを感じたのであろう。だからこそ皇帝は彼女を強く求めていた。

 最も美しい騎士は皇帝がその役割を忘れそうになるほど愛する強き騎士に憧れ、それを誇りに思うと同時に嫉妬した。彼女への尊敬と友情で必死に抑えようとしたものの、やはり負の想いが消える事はなく、美しい騎士は眠れぬ夜を過ごしていた。

 思い悩んだ彼女はやがて悲しみによって心を乱し、憎しみの想いを抱いて力を欲するようになった。

 

 ひたすらに葛藤しつつ力を求める彼女は機会を得て、ついに強き親友との決闘を申し出る――。

 

 

 

Act3

 

「皇帝陛下に会った!!?」

 エリーナの驚愕した声が整頓された部屋に響く。

 朱雀は改めて入れてもらった紅茶を飲みながら、コクリと頷いた。

「声をかけられたよ。いやぁ、さすがは手馴れていらっしゃる。中々引き下がらないんだな、コレが……」

 朱雀はカフェでの一件を思い出して苦笑いを浮かべている。

「嘘!? 本当なの? ――そりゃ、あなた達は美人に見えるけどさぁ……なんか、なんか凄く嫌なんだけど!!」

 皇帝を想う身としては複雑である。エリーナは頭を抱えて塞ぎこんだ。隣ではどこから出したのか。何に使うのか解らない、謎の機械を弄くる玄武の姿がある。

 “話を聞けよ!”と朱雀が怒鳴りそうだが、放っておくと鬱陶しいのであえて許可した。

「まあ、それで城へと招待されてしまった訳よ、コイツが。Fカップは偉大だぜ……」

 作業に没頭している相棒の後姿を眺めながら、疲れた様子で朱雀は言った。

「城に!!!??」

 取り乱して身を乗り出すエリーナ。

「とりあえず落ち着いてくれ。で、明日の夜、あいつは城に行く事になっている。ターゲットは城にいるんだろ? だから明日の夜は大チャンス。やるなら明日だ」

「え――明日……」

 急な提案にエリーナは押し黙った。覚悟ができていなかったわけではないが、それでもやはり、戸惑いはある。

「今ならまだ迷ってもいいが、待てるのは明日まで。明日の機会を逃すようなら諦めるべきだろう」

 今回の依頼は「暗殺」。しかしその経緯から、朱雀はエリーナが思い留まるのも一つの道であると考えている。

「――わかりました、明日ですね。ならば私も明日、城に向かいます」

 エリーナの言葉に「来る必要は無い」と朱雀は答えたが、エリーナは「見届ける必要がある」と決意を顕わにした――。

 

 

 

Act4

 

 上弦の月が輝く夜天の下。歴代の皇帝が過ごした“雲海の城”は、夜闇に紛れた町を夜空に例え、空に浮いたかのように聳えている。

 

 城に招待された玄武は歓迎の車で城内へと容易く侵入し、エリーナは女性として当然の権限の下に入場した。

 朱雀は女装して「庭園から夜空を眺めたいの」とでも言えば問題なく入れたのだが、「情けないからヤダ!」と不法に侵入した。

 “侵入”は彼の専門分野で、彼の侵入を防げることができる建造物はこの世に稀。しかも女性は24時間出入り自由な“カントラック城”において、その警備体制は比較的甘い。

 皇帝の守護は固いので“皇帝の暗殺や誘拐”となれば不可能に近いが、施設自体への侵入はかなり楽。そもそも国への侵入が困難なので、これでも問題は無いのであろう。

 

 皇帝のテクニックとしつこさで危うくこの日がベッド・イン記念日になりかけた玄武も、朱雀のナビゲーションを頼りにどうにか凌ぎきった。

 皇帝も不出来な男ではないので、腕力や権力に訴えるような強引な手段は用いない。彼が本物の紳士で良かったと玄武は心から安堵した――。

 

 

 皇帝が眠りについてからしばらくは明日の準備や片付けで慌ただしい城内。だが、それも3時間程すると城内は消灯の時間を迎えて一気に静まる。

 

 城内の豪華な一室。皇帝の寝室と同等なほど豪壮な部屋。そこのやたらと広いベッドの上でスヤスヤと眠る金髪美女。あどけない表情の寝顔で時折ヘラヘラと笑っている。

 

“ギィィ……”

 

 開かれる白色の扉。

 開け放しの大きな窓から入る月光が、胸当てを銀色に輝かせる。鉄の具足を静かに鳴らして、女騎士はベッドへと近づいていく。

 差し込む光が徐々に彼女の姿をあらわにして、肩ほどの長さで整えられた影色の髪が本来の色である“赤色”に照らされる。彼女の背中には刃が広い大剣。

 無表情に歩を進める女騎士。

 ベッドがいよいよ近くなり、やがて彼女の口元が僅かに笑みを浮かべた――――。

 

 

       『 わりぃけど、ゆっくり寝かしてやってくれないかな 』

 

 

 ピタリと足が止まる。

 窓際から聞こえてきた声。それが不審なものである事は明白である。

「疲れてんだよ、ソイツ。ま、かなりの恐怖と緊張があっただろうからなぁ」

 不審な声に、女騎士は2つの意味で驚いた。

 1つはその声が夜空しか見えないはずの開け放された窓から聞こえてきたから。そしてもう1つはその声の主が明らかに“男性”のものだからである。

「――なぜ陛下以外の男がここにいる」

「仕事と趣味」

 威嚇するような低い女の声に対して、朱雀は軽い調子で答えた。

 Gパンのポケットから緑色の箱を取り出し、慣れた手つきで自制した煙草を咥える。

「――愚問だったな。では2つほど忠告しておこう。1つ目は、男性の不法入国者は発見次第、皇帝騎士団による“死刑”の執行が許されているということ……」

「そりゃ恐ろしいな。弁解の余地無しに俺の死刑確定かよ。で、気になるもう1つは?」

「私の傍で“煙草”を吸うな、だ」

 女騎士の口元が苦々しく曲がる。

「あん? やなこった。城は禁煙じゃないんだろ?」

 そう言って咥えたそれに火を着ける朱雀。

“シュボッ”

 と音が鳴ったことを確認して、女騎士は微かに声を出して笑った。

 金具を外し、背中から荒々しく大剣を振り抜き、窓枠に寄り掛かるその男をにらみ付ける。

「喜べ、今宵の餌は2つだぞ」

 大剣の刃を撫でて、愉快さをその血で表現する女騎士。朱雀は腕を組んで“ふぅっ……”と灰色の煙を夜空に吐いた。

「我が名は皇帝騎士団が団長、“リオナ=ウィンガル”。皇帝定めし法の下、貴様の身命に裁きの剣を下す者!」

 切っ先を朱雀に向けて、声高に名乗りを上げる。表情からこれから誇り高き任務を遂行するという意志は見られず、ただ笑みを浮かべているのみである。

「我が剣の糧となれッッッ――!!」

 ウィンガルの体は勢いよく跳躍し、ベッドを飛び越えて斬りかかった。

「おっと――」

 朱雀は身を翻して、窓の外へと飛び降りる。窓枠に当たり、激しい金属音を鳴らす大剣。

「…………」

 剣についた微かな傷痕を見て、ウィンガルは顔を歪めて舌を打つ。

 たなびく煙を充血した瞳で睨んだ後。それを追って彼女も部屋を飛び出した――。

 

 

 

Act6

 

 大庭園に生えている大木。8代皇帝が植えたとされるその木の下で、眼鏡をかけた女が眠っている。読みかけなのか。彼女の横には開かれたままの本がある。

 青色の前髪が潮風に吹かれて僅かにそよいだ。

 

“ギィンッ――”

 

 静かな大庭園に金属音が微かに響く。

 眼鏡の女は目を開くと、音の方角に視線を向けた。

「何かしら。あそこは今、客人しかいないはず――」

 本を閉じて彼女は立ち上がった。“異常はないかもしれない”の考えは守備兵に禁物である。優秀な兵ほど、“異常が起きたのかもしれない”と何事にも常に能動的な発想をする。

 彼女は本をその場に残して音の方角――客人が寝ている部屋へと足を向けた。その下にはパーティ用の大広間へと繋がるバルコニーがある。

 

『アハハハハッ!』

 

 今度はバルコニーから女性の笑い声が聞こえてきた。客人の寝言にしてはあまりに異様。何か普通ではないことが起きている可能性がいよいよ高まる。

 不安を確信に変えて駆け出そうとした彼女の進路上に、人影が立ちはだかった。大庭園に天を遮る物は無い。上弦の月はその影を偽りなく照らしている。

「どうかしたの? エンリケ」

 目の前に立っているのは皇帝7騎士の1人であるエリーナ。眼鏡の女は役割柄、ここにいないはずの彼女に疑問を感じた。

「エリーナ様、なぜここに……? いや、それより城に異変が起きております。先程の金属音や女性の声をお聞きになりませんでしたか?」

「さあ、聞こえなかったけど――」

 

“ギキィン――”

 

「「!!」」

 再び鳴り響く金属音。最早疑いようはない。

「やはり、バルコニーで何か異常が起きているようですね。すぐに向かいましょう!」

 眼鏡の女は城のバルコニーを指差してエリーナを促した。

「エンリケ、私が行くわ。あなたはここに残りなさい」

「何故です?」

 理解のできない判断に思わず聞き返す。エリーナはその彼女を厳しい目つきで直視した。

「……エンリケ、あなたは私の腕を信用していないの?」

「…………」

 厳しい視線と低い口調で威嚇するように話すエリーナを、眼鏡の女は無言のまま見返した。

 数秒ほど、無音の時が流れ――やがて眼鏡の女は静かに口を開いた。

「……エリーナ様。私はあなたに恩を感じています。入団の当初からあなたを見て、憧れて私は腕を磨いてきました。しかし、それを踏まえた上でも、今の私が最も優先するべきことは騎士団の規律です」

 眼鏡を外して毅然とした態度でエリーナに語る女騎士。青髪を揺らしていた潮風がピタリと止む。

「エンリケ、私はあなたのその知性が好きよ。でも、今はその知性を発揮して欲しくはなかった……」

 悲しそうに言葉を発した後、エリーナは腰に下げた東洋風の剣の柄に手を置いた。

「訳は後ほど聞きましょう。願はくば、それがあなたの罪ではありませんように……」

 青髪の女騎士はそう言うと、両の腰に吊るした鞘から1対の透き通った刃を引き抜いた――。

 

 

 豪壮な広い部屋の中。やけに大きいベッドの上で、玄武はスペクタルな夢を見ていた。

「海賊が……」

 寝言でそう呟き、ゴロリと寝返りをうつ。先程まで張り詰めていた空気もやり取りも、まったく彼の夢には影響を与えていないらしい。

「ぬぅ……」

 突然苦しそうな表情に変わる。

「んが……うふぅ」

 何がキツイのかは不明だが、ゴロゴロと左右に寝返りをうって苦しむ玄武。

「ぷは! ゼェ、ゼェ――」

 “ガバリ”と起き上がり、広々とした部屋を見渡す。そこには当然、“宇宙大帝ギャリック”は存在していない。

 玄武は呆けた後、現状を理解して再び横になった。フワフワと眠気が近づいてくる。

「――て、アレ?」

 “ガバッ”と起き上がる玄武。しばらくボーッと考えた後、自分が今するべきことを思い出した。

「そうだ、僕は寝ている場合じゃないんだった。むしろ“寝てても良いけど死ぬよ?”って言われてたんだった!」

 “危なかった”とホッと胸を撫で降ろして窓を見と、そこには星々が瞬く美しい夜空がある。それはそれでいいのだが、問題は相棒がいないこと。

 確か計画ではそこに朱雀の姿がないといけないはず。ついでに言うと、玄武はとっくにこの部屋を出て彼の役割をこなしていなければならないはずなのだが……。

「うわぁ、マズイ! 寝坊しちゃったよ」

 そう言いながらいそいそとベッドから抜け出す。赤い絨毯の上で伸びをすると「んぁぁ」と唸り声が出た。

「あら? どういうことかしら」

 背後から女の声。

 聞こえてきた声の方向に目をやると、そこにはマントを羽織った女の姿がある。

 その女は緑色の髪と豊満な胸を揺らしながら玄武の元へと近づいてくる。

「すでに事は終わっているハズなのに、なぜあなたはそうして伸びをしているのかしら?」

 胸に“翼竜の紋章”を輝かせながら、マントの女は質問をした。

「え? なんでって……」

 玄武はまだ寝ぼけているのか、女の質問に力なく答える。

「それに、変ね? 客人の女性は小柄だったハズなんだけど……」

 マントの女の視線の先には、身長180cmを超える人が立っている。

「あと、彼女は私ほどでは無くとも、それなりに胸が大きかったはずだけど……」

 マントの女の視線の先に立つ人は、ペッタリしている自分の胸を確認した。

「あれ、胸が縮んでる!!?」

「――それと、声が少し低い気がするのは気のせいかしら?」

 マントの女はそう言うと、手にしていた杖から捻じれた刃を引き抜いた。

「あ、アレ?」

 さすがに自分が今、物凄くヤバイ状況であることに気がついて玄武は後ずさる。だが、後ろは窓である。

 ここは普通の建物の4階相当の高さがあるので、常人が飛び降りるには大変な危険を伴う。というかたぶん死ぬ。

「うふふ、解ったわ。あなたって“イカレた不法侵入の腐れ野郎”なのね」

 口調は変えずに明らかな怒りを突きつけるマントの女。玄武にはもう、下がれるスペースが無い。

「あなたは私が死刑にしてあげる。せいぜい怯えて漏らして糞垂れて、無様に死んでくださいな」

 影のある笑顔を魅せた後、マントの女は手にした剣を上に掲げた。

 突如として緑色の炎に包まれる刃。炎は渦を巻くように彼女を取り巻いた。

「――ねぇ、あなた。“本物の魔術”を御覧になったことはありまして?」

 緑に照らされた部屋の中。緑炎を従える女騎士は悪戯な笑顔で問いかけた。

 危険が明らかな形となり、いよいよ現状を確実に理解する玄武。そして自分が「魔術使いの騎士」を監視する役であったことを思い出した。

 戦いは苦手な彼だが、こうなったらもう、やるしかない。

 スカートの裏に隠していた紙切れを取り出し、1つ呼吸を置いてから読み上げる……。

「友人、セント=ヘレナの名を借りて――」

 玄武がそれを読み上げた直後、炎の固まりを放出して燃え尽きる紙切れ。強い魔力の気配に勘づき、緑炎の女騎士は余裕の笑みを失う。

 

 紙切れを飛び出した炎の塊は空中でその姿を変え、翼を広げた燕の姿となった――。

 

 

 

Act5

 

 空中に飛び出したウィンガルに迫る螺旋回転の鉛玉。人間離れの速度で大剣を振い、ウィンガルはそれを斬って弾いた。

 暗闇のバルコニーに着地する両名。上弦の月光を受けて、二人の影が白色の床に伸びた。

「……知り合いに“弾丸を弾く侍”がいるけど、この暗がりではどうかな」

 そう言って朱雀は冷や汗を拭った。

 朱雀の前には正面から月光を受ける1人の剣士が立っている。

 ウィンガルは虚空で大剣を振り回し、狂気の瞳で前に座る銃士を睨み付けた。

 彼女は振り回していた大剣を止めると、突如として笑い声を上げる。その姿は由緒ある騎士団の団長ではなく、愉悦する快楽殺人者に近い。

 笑いながらも、傷痕1つ無い大剣を横に構えて力を溜めるウィンガル。

「“異界の悪魔”――か」

 狂騎士の手元に光る大剣を見て朱雀は呟いた。見事な均衡で真っ直ぐに伸びるその剣は、俗に言う“妖刀”である。200年程前、この大剣を晩年の共とした“偉大なる狂騎士・アジェル”はこの剣によって名を馳せ、そしてこの剣によってその命を失った。

 

 滅びの魔剣、“ディスペア”は持つものに力を与える引き換えに生涯全てを用いた“世話”を強制する。

 力を与えている彼女は腹を空かすと新鮮な血を要求。持ち主にとって振う必要がなくとも、彼女が求めればその刃は人を割かなければならない。それによる食事と蓄積される苦悩、絶望による葛藤が彼女を“不滅の剣”として成立させているのである。

 

 ウィンガルは剣の求めるままに地を蹴った。

 飛び掛ったウィンガルを右手に握る41マグナムの拳銃で打ち落とそうと思った朱雀だが、あまりにも彼女の跳躍が早いため、ただただ回避に専念するしかないと判断。

 横に大きく跳んだ朱雀の影に大剣が勢い良く振り下ろされる。

 破裂するような金属音と共に金属粉と火花が飛び散った。

「コイツなら、避けられるかなっ!?」

 革ジャンの裏からもう1つの50AEデザートイーグルを取り出して二丁で弾丸を放つ。胸部と股関節付近を狙って放たれた避けにくい弾丸は、両方とも大剣の刃に割かれて弾かれてしまった。

「――帽子がねぇからダメなんかね。それとも服装か?」

 苦笑いを浮かべながら振り払われる刃を必死に避ける朱雀。反射神経と機敏さに定評がある彼が、“いつまでも避けきれるものではないな……”と高速で打開策を練らなければならないレベルの剣速である。

 ただの人間では不可能な速度。人間の稼動の限界を超える動きに彼女が耐えているのはディスペアの力による。肉体強化と戦闘中の負荷に対する耐性を与える代わりに、それらは使用者の精神を酷く疲弊させる。そして、やがては脆弱な精神を持つ無力な木偶へと変化させてしまう。

 朱雀は女性を滅多に撃たない。それは彼が単に女好きというのもあるが、彼が隠れ紳士だからでもある。引き金を引く前に「なんとか救えないか」という考えが頭をよぎる。

 だが、今回の場合は例え剣を取り上げても無意味。ディスペアを失っても散々に疲弊させられた使用者の精神が戻ることは無い。支えを失った命は静かに絶たれる――。

 切っ先がGパンを裂き、血液が飛び散った。

 いよいよ不穏な空気が流れる。飛び回っていた朱雀の息も乱れ、弾倉の残弾も僅か。リロードをする暇があるかどうか……。

 大剣に付いた朱雀の血を吸って、嬉しそうに笑うディスペア。その笑い声は周囲の人間の鼓膜に耳鳴りとなって響く。

「リオナ!」

 バルコニーに響き渡った女の声。

 人外の形相でウィンガルが振り返った先には皇帝7騎士の同胞、エリーナの姿がある。

 一瞬だけそれを確認して、すぐに視線を戻した。ウィンガルの視界に映るのは今、“餌の姿”のみ。

 再び地を駆り、大きく大剣を振りかぶる。

 

“ギ・キ……ン――”

 

 立ち塞がって友の剣を受けるエリーナ。しかし、彼女の東洋剣は無残にも根元から折れて刃が何処かへと弾き飛んでしまった。

 目の前に立つ友の姿も、今の彼女にはただの障害物にしか映っていないのであろうか。

 障害を払おうと、ウィンガルは大剣を軽く振った。

 

 大剣の刃が友の頬に触り、傷をつける。

 瞳に涙を溜めて狂騎士を見つめる友は小さな声で「もう、やめて……」と呟いた。

 

 震える友の体と声。

 友の頬を伝う涙と血。

 

 気がつくと、狂騎士の頬にも涙が伝っていた。

「エリーナ……」

 親友の名前を呼びながらも、その首を刎ねようと誘う剣の誘惑に必死で耐える。

 ここはかつて3人でよく昼食をとったバルコニー。潮風が吹く方角には共に修行をした大庭園が広がっている。

「嫌よ……殺したくない。彼女は私の親友、大切な人なの――」

 彼女の言葉に、魔剣は『親友? かつて殺したではないか』と返す。

「もう、求めないから……これ以上失って気がつきたくないの、思い出を失いたくないの」

 懇願する彼女の言葉を『勝手を言うな。我が契約は破られぬ』と冷たく突き放した。

 苦悩する親友の力にもなれず、ただ涙を流すだけの自分が情けなくて、エリーナはあまりにも無力な自分を呪った。

 嘆く二人の剣士。その背後で右の拳銃を突き出し、佇む銃士――。

 吹き付ける潮風が外側にはねた茶色の髪を撫でて行く。

『無駄だ、私は砕かれない』

 耳鳴りが朱雀の鼓膜に語りかけてくる。

 朱雀は細く尖った猛禽のような瞳孔を向けて、自嘲気味にその魔剣に答えた。

 

 

       『 やる前から決め付けるのは、良くない事さ―― 』

 

 

 デザートイーグルの銃口が赤く染まる。それは血の色のそれではなく、絵の具のように鮮明で紛いのない“赤”。

 赤は急速に彼の腕を染め上げていく。それは侵食を続け、やがて右の眼球までがその色に染まった――――――

 

 引き金が引かれて、撃鉄が落とされる。

 全長の長い赤い弾丸は回転し、衝撃波を纏って虚空を突き進んだ。

 初速400/km/sを超える世界の中、ディスペアは弾丸に反応してそれを斬ろうと高速で動く。

 彼女が弾丸に触れた時、それが自分と同じ世界の臭いを纏っていることに気がついたが、それを思うと同時に彼女の体は赤色に染まっていた。

『!! キサマも“ っ……!!?』

 満足な断末魔の余裕も無く、この世から一縷の可能性も無く消え去るディスペア。瞬間的な出来事なので朱雀以外その様子を知る事は無いが、彼女の存在は光に成り代わったかの様に霧散して消滅した。

 文字通り、欠片もこの世に残ってはいない。

 

 魔剣が消え、何も握られていない両手に気がつき、それを眺めるウィンガル。彼女は「なぜ?」と思う前に微笑んでこう呟いた。

「良かった――」

 その言葉と共に目を瞑り、その場に倒れる騎士団長。友は彼女を受け止め、彼女の体を大事そうに抱きしめる。

 命の気配が消えてしまった親友の身に涙を染み込ませて、エリーナは声を出して泣いた。

 騎士の鎧を伝う雫が、月に照らされ碧く光る。

 かつて伝った赤い飛沫の跡を流すかのように。涙は嘆きの鎧を伝って落ちた――。

 

 かなりの疲労感からか、膝を着いて息を整える朱雀。涙する女の声を聞いてハッピーエンドにできなかったことを悔やんだ。

 ふと顔を上げると、彼が飛び降りた部屋から煙が上がっている。

「うわ……やべぇ」

 ふらふらの体で立ち上がり、「もう一試合かよ……」と嘆いた。

 

 

 朱雀がふらふらと駆け出した頃。激闘によって焼け焦げた豪壮な部屋の中で、煤けた玄武が小さくガッツポーズをとっていた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Act7

 

 皇帝鉄道の始発は6時20分。昨晩の疲れが抜けきらない玄武を叩き起こしてそれを目指す。

 オッパイビグナールは持ってきたが、身長を縮める薬を忘れた玄武は現在、180cmを越える大女として注目を集めている。それでもその豊満なバストと谷間で有無も言わさず周囲を納得させ、下りの列車に乗り込んだ。

 草原をひた走る退屈な旅がまた始まった。

「エリーナ、大丈夫かなぁ」

 心配そうに玄武は朱雀に聞いた。

「――たぶん、罪には問われるだろう。死人が1人出ていることだし」

 沈んだ様子で連続する同じような景色を眺める朱雀。

「ええっ!?」

 玄武は驚いて、朱雀に「助けに行かなくちゃ!」と迫った。

「仕方が無い。俺も一緒に抜け出さないかと聞いたが、騎士団として国の法は破れないんだと。でも、それは口上かな。本音は親友達との思い出からこれ以上遠ざかりたくないから、かも……」

 彼女達の友情や思い出に自分たちが口を出せるものでもない。溜息混じりに答える朱雀。

 玄武はそれでも納得いかない様子で喋り続けていたが、朱雀はもうそれに答えなかった。

 

 

 

 二度と会えないであろう忠義の女騎士達を想いつつ、2人は皇帝領から遠ざかって行く。

 

 

 草原の景色を背景にして、窓際に置かれた緑色の小さな箱。

 備え付けの食事台には、残り2つとなってしまった飴玉の袋が置かれている――――。

 

 

 

 

 

 

 

                     メーデン皇帝領: End