広い、広い世界。

 そこには私たちの考えがまったく及びもしない事が存在します。

 

 

 広大な海のどこか。

 そこには、もうもうと立ち上がる“霧”に包まれた大陸(世界)が隠れています。

 

 その“霧”は、それ自体が現実なのか幻なのか。

 霧を通過することも、霧を確認することもできません。

 

 

 そこは、私たちからすれば「幻想」で。

 そこは、彼らからすれば「現実」で。

 

 

―― ミステリア ――

 

 

 その名は「不思議」な想いを過去の人たちが詰め込んだ大陸の名前。

 

 この不思議な名前は更に不思議なことに。どちらの大陸も同じに呼ばれる事があります。

 

 何故なら、どちらの世界の人にとっても、“霧”の先は不思議なものだからです・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サンブレア王国。

 首都コローラルの商店街を駆ける少年。

「待ちやがれっ、この小僧!」

 パンをいくつか抱えるこの少年を、怒り心頭に追いかけるおじさん。

「ハッ、ハッ・・・」

 息も荒く。少年は左右の狭い階段を上る。

 器用にも人とすれ違いながら駆け上がり、小路を曲がる。

 曲がった先は煉瓦の壁。少年は急ブレーキをかけて立ち止まった。背後からは店主の「まてー」という怒鳴り声が近づいてくる。

「や、ヤバヤバ・・・!」

 少年は壁から少し離れると、加速して大きく跳び上がった。

 ――しかし、それでとどくわけは無く。空中で慌てて壁の天辺に手をかける。じたばたともがく少年からパンが落下していく。

 どうにか登った少年の口には1つのアンパン。

「あっ、もったいねー!」

 と、壁の下にあるパン達を眺める。

「こらー、降りろー!」

 落ちているパンを拾いつつ、店主が少年を睨む。

 少年は残念そうに手元のアンパンを見つめると、そそくさとその場を離れた――。

 

 

 

 ――しばらく走り続け、街の外へ。少年は森を通り、丘の上の草原に出た。

 

 息を整えつつ、振り返る。いくらなんでもここまで店主は追ってこない。

 「やれやれ」と柔草の上に座り込み、アンパンを1齧り。

 

 吹く風。草原が波を走らせた。

 

 丘の下には茂る木々。

 緑の先に淡い砂色の街並み。

 視線を上げれば、遠くて高い青空と白い雲。

 

 

 そして水色と砂色の狭間にある、大きな影。

 

 国の象徴とも言える城の姿は憧れと羨ましさで綺麗に見れない。

 

 

 アンパンを1齧り。

 もぐもぐと口を動かしつつ、呆然と景色を眺める少年。

 彼は一度だけ、目にしたことがある。箱入りなので、滅多に人前に姿を見せないのだが。

 彼はそれでも一度だけ、彼女の姿を目にした。

 7歳の誕生日を喜ぶ祝祭に。同い年でも、遠くに見えた彼女。

「・・・・・・」

 縁がないなぁ〜、などと当たり前のことを思い描きながら。少年はアンパンを齧る。

 

 

 夜には瞬く丘の上。

 少年のお気に入りに、彼のむせる声が響いた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流 れ 星 の 降 る 丘 で

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――魔法使いと魔術師。魔法と魔術。

 

 魔術の学校では、いの一番に「どちらが優れているか」と生徒に問う。

 多くの新入生達は「魔法」と答えるだろう。

 

 しかし。実はこの問い、引っ掛け問題であり、「どちらか」などという答えは存在しない。

 例えるならば、「太陽とこの世界(地球)、どちらが優秀か」と問われているに等しいこの問題。純粋な規模、強大さで言えばどう考えても“太陽”の勝ちである。だが、太陽はこの世界のように生命を住まわせる器用さを持ち合わせていない。

 “優れる”をどのように捉えるかで回答は変わるであろうが、一概に「こちら」と言い切ることなどできはしない。

 

 だから、先生は生徒に「魔法使いも魔術師も、同じ魔道士なのです。そこに優劣はありません」と最初に教えるわけだ。

 だが、それでもやはり人は強大な存在に憧れるものであり――。魔法を魔術へと解釈する成果よりも、魔術を魔法へと発生する成果の方が評価されやすい。

 

 “サンブレアの守護者”とも言われるエドガー=バゥローがこの日、見事『小魔道』の称号を協会より賜ったのは「魔法を魔術へと解釈した」ことへの評価。

 稀なことだからこそ、国王の鼻も高くなるというもの。

 

 

 王の間に跪く銀色の髪の騎士。若き魔道の左腕もまた、銀に輝いている。

「エドガー。誠に、誠にっ! 私は歓喜しておるぞ!」

 気の良さそうな王は、頬を弛ませて眼下の騎士を褒め称えた。

「――我が名は王の為に。この名が高まることで、主君の名声がより轟くのなら、私は更なる高みを目指しましょう」

 エドガーの真摯な言葉に一層機嫌を良くし、近者に褒美を持ってこさせる。

 王は自らそれを持ち、玉座を離れて騎士の元へと寄る。

「受け取れ、エドガー。その剣は我が王家を支えた英雄の剣である。お前にこそ相応しい一品よ!」

 差し出された剣を、両手に受け取る騎士。

「ありがたき、幸せ。この剣に身を余らせぬよう、精進いたします」

 深く頭を下げるエドガーの肩に手を当て、満足げに王は微笑んだ――――。

 

 

 王の間から出て、受け取った剣を右の手で掲げる。鞘に収まっていながらも、その迫力、栄光が迸っているかのようだ。

 エドガーは表情の少ない男だが、この時ばかりは表情が目に見えて輝いていた。これほど人間味のある顔を彼がするのは、彼女と共にあるときくらいであろう。

「やぁ、エドガー。良い物を貰ったね」

 日に剣をかざしていたエドガーの表情から光が失せた。

 いつもの薄い表情で彼が振り向くと、そこにはニヤけた笑みを見せる若者が立っている。

「これで君はこの国のシンボル的な存在となるわけだね。責任が重くないかい?」

 若者は、指を鳴らしてリズムをとった。

「トーレ様、お久しぶりで御座います。――確かに、重い責を預からせていただきました。ですが、苦には思いません。決意と、喜びがあるのみです」

 エドガーは剣を胸に当て、微塵の怯みも見せはしない。

 トーレと呼ばれた若者は、相変わらずニヤけたまま、馴れ馴れしく騎士の肩に手を置いた。

「そうか、そうか。それは結構。お前にはこれからも頑張って貰わないといけないからな。“俺の時も”・・・頼むよ?」

 耳元でそう言い残すと、若者は肩を揺らしながら、鼻歌混じりにその場を離れた。

 

 トーレは決して、“良い人物”ではないだろう。だが、“劣っている人間”でもない。彼の知性をエドガーは知っているし、一介の戦士である自分がどうこう言えることではない。

 

 だが、それでも本音を言えば。彼には次の王座に座って欲しくはない。

 

 

・・・そんなことが特に表情に出ていたとは思えないが。

 

 城の広間で佇む騎士を、赤紫の衣類に身を包んだ男性が興味深そうに眺めていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王宮には部屋が多いし、階も多い。

 部屋の数は隠し部屋などもあって正確には解らないが、階数は塔の最上階で15もある。

 

 豪華な城の一室に、豪華で且つ愛らしい部屋が存在する。

 清楚な部屋の中で、少女は着替えを済ませて大きく伸びをした。

 

 ガラスの扉を開き、出でたそこはベランダ。

 景色は淡い砂色の街並み。高くは水色の空。遥か向こうには、小高い丘がうっすらと見える。

 

 豊富な自然だけど、そこは全部遠くて。きっと多くの人や動物が動いているのだろうけど、遠すぎて解らなくて。

「あ〜あ・・・」

 少女は手すりに寄りかかり、溜息を吐いた。

 同じ世界なのに。こことあの街や森は、本で読んだ幻想の大陸とは異なり、霧に阻まれてなどいない。だから、決して行けぬことなどないだろうに・・・。

「お悩みですな」

 後ろから声が聞こえた。

 驚いて振り返ると、そこには無表情ながらも気が許せる人の姿。

 若者は、銀色の左手で頭を抱え「やれやれ」と呟いた。

「また、“外に行きたい”などと・・・?」

 若い騎士は少し柔らかな口調で話す。

 少女はフイと向きを変え、視線を街へと戻した。

「――解ったようなこと言わないで、エドガー」

 ちょっと怒った調子で少女は答えた。

 若き騎士、エドガーは「あはは」と笑う。

「これは申し訳ない。見当違いでしたかな、私の予測は」

「・・・いいえ、正解よ。だから怒っているの!」

 少女の答えに、エドガーはまた笑う。少女は振り返り「もう! なんで笑うの!」と、微笑みながらも彼を叱った。

「いや、申し訳ない。あはは」

 楽しげなエドガー。

 少女はムスっ、と頬を膨らませて「解っているのなら」と続ける。

「どうして叶えてくれないの?」

「外に行く、ということをですか?」

「そうよ!」

 ツカツカと詰め寄り、騎士の胸当てにちょんと触れる姫。

「ですから、何度も言うように。外は危険なのです。イシャナ様、何せあなたは姫で御座いますからね。この国の重要な人なのです」

 エドガーは困りながらも答える。

 いつもの回答に、やっぱりイシャナ嬢はご不満な様子で・・・。ジトっ――とエドガーを見上げている。

「――そんなに睨んでも、ダメなものはダメです!」

 目を逸らし、断固として拒否するエドガー。イシャナは残念そうに視線を落とし、「あ〜あ・・・」と呟いた。

 そんな姫の視界に入った見慣れぬ物。騎士の腰にはいつもと異なる剣。

「あら、エドガー。それってお父様の宝物の剣じゃないの?」

 見覚えのある細身の剣を指差して、イシャナが問う。

「――ああ、これは・・・王より賜ったのです。小魔道になった褒美として」

 得意げに剣を鞘ごと腰から外し、掲げるエドガー。

「まあ、それは凄いわ。さすがエドガーね!」

 イシャナの言葉に少し頬を染め、額を金属の左手で掻くエドガー。

 そんな彼を見上げて、姫は何かを思いついたご様子・・・。

「ねぇ、エドガー。エドガーはこの国の守護者――英雄なワケよね」

「エ――え、ええ。まぁ、そうですね。これで名実共に・・・恐縮ではありますが」

 グイ、と近寄るイシャナ。

「英雄に護られるってことは、この上なく“安全”だと思わない?」

「ま、まぁ・・・その自信は持ち合わせておりますし、慢心も油断も私には――――」

「ねぇ、エドガー・・・」

「――はい?」

 言葉を断ち切るように身を寄せ、背伸びをして顔を近づける。

「私、ちょっと外出したいの。あなた、私を護ってはくれないかしら?」

 先ほど却下された提案を、ずうずうしくも繰り返すイシャナ。

「それは――いや、いけません! 何度も申しましたように、外は危険ですから!」

「あらぁ? あなた、“護る”自信があるのでしょう?」

「う――で、ですから。万が一にもということもあり、私自身、確かに王から託された責に対して自分が劣るということは無いと――――」

「エドガー。私、あなたに護られたいの・・・・・・」

 潤んだ瞳で心に迫る言葉。若き騎士は理屈が得意な口を開いたまま、硬直した――――。

 

 

 

 

 

 

 憧れていた街。とはいっても、何度も来たことはある。ただし、それは多くの家臣団に囲まれ、店に入ろうにも「姫はそこでお待ちを! おい、すぐに店主を呼び寄せ、品を持ってこさせろ!」・・・などと止められてしまうような窮屈な状態。

 

「わぁ、人がたくさん! 皆、買い物してる!」

 当たり前の光景だが、姫様にとっては当たり前ではないのであろう。イシャナは見慣れぬ光景に興奮して、周囲を忙しなく見渡している。

 フードを被って姿を隠しているとは言え、あまり走ると風でフードが取れてしまいかねない。第一、はしゃぎ過ぎて何か問題を起せば面倒である。

「ひ――いや、お嬢様。あまり走らないでください」

 エドガーは周囲に気を配りながらも、動きの読めない少女を必死に視界に捉えている。

 実際、状況的にはあんまり気楽なものではないし、よろしいものでもない。だが、時折振り返って自分に笑顔を見せるその姿に、騎士の鋼の精神も弛む。

「エドガー、見て。これ可愛いと思わない? ねぇ、おねぇさん。これを頂いてもよろしいかしら?」

「は? 頂く?」

 少女の問いに、疑問符を浮かべて眉を顰める女性。

「うぉっと! ――ええと、すまんが。これは幾らかな。今払う」

 そう言って銭を取り出すエドガー。イシャナは首を傾げてその姿を見ていたが、やがて「いけない、そうだったわ!」と気がついた。

「ご、ごめんなさい! そうね、買い物しないとなのよね。私ったら、つい忘れていて・・・」

 謝る少女の姿は店員の女性をさらに困惑させるだけである。

 エドガーは代金を払うと、イシャナの手を引き、急いでその場を離れた――。

 

 

 

 街の喧騒から少し離れた路地。石畳の道を歩く若者と少女。

「ごめんね、エドガー」

 イシャナはバツが悪そうに口を開いた。

「いいえ、お気になさることはないですよ。特に問題はありませんから」

 そう言って、先ほど買った髪飾りを手渡すエドガー。

「しかし、トカゲですか・・・これまた変わったものを・・・」

「あら、あなたも飼っているじゃない」

 手渡された銀製の髪飾りをさっそく取り付けるイシャナ。

 エドガーは「ですからトカゲではなくて・・・」などと、微笑みながら答えた――。

 

 

 

 茂る木々。上を覆う枝葉の隙間から差し込む、夕日のオレンジ。

 少女が屈み、花に手を伸ばす。

「イシャナ姫。その花、あまり匂いを嗅いではなりませんよ」

「あら、どうして?」

「人を眠りに誘う花――“惑わしのフラッガ”です。起きれば夜・・・なんてことになりかねません」

 イシャナが触れている紫色の美しい花。チューリップの花弁を1周り増やしたようなそれの持つ不思議に驚き、手を離す姫。

「こんなに綺麗なのに・・・花は優しいものだとばかり思っていたわ」

 さくさくと葉土を踏み、エドガーの元へと寄っていく。

「花も千差万別、生きています。中には人が嫌いな花があってもおかしくはありませんよ」

 エドガーは優しい笑顔を見せて、イシャナの頭を撫でた。

 森の中を歩き始める2人。

 イシャナが「森を見たい」とせがむので、日が暮れるまでなら・・・とエドガーは街から少し離れた森を案内している。ここはあの森と異なり、不安も少ないだろう。

「惑わしの――なんて付くと、魔道士の名前みたい!」

 小鹿のように跳ねながらイシャナが聞く。

「ああ、それはあれが元々は魔法だったからですよ。もっとも、今ではご覧のように“自然”に迎合されてしまいましたがね・・・」

 穏やかながらも、片時も姫から目を離さないエドガー。騎士の左腕に反射する、夕日の赤。

 イシャナは立ち止まって振り返った。

「あら、面白そうなお話ね。今夜聞かせてよ、エドガー」

 少女のあどけない願いに、騎士は「ええ、構いませんよ」と微笑んだ―――。

 

 

 

 森を行く楽しげな若者と少女。

 その姿を遠巻きに、木々の狭間を貫き捉える視線。

「おい、間違いねぇな・・・」

「ああ。俺はしっかりとあの顔を見たことがあるし、しっかりとあの顔を憶えている・・・」

 小刀の手入れをしながら、髭の多い男は笑みを浮かべた。

「しかし、隣のはなんとか――つぅ騎士様じゃぁねぇのか?」

「ああ? 誰だろうが、所詮は1人だろ? かまやしねぇさ」

 鶏肉を齧りながら、汚れたバンダナを巻いた男が答える。

「こっちは6人もいるんだ。囲めば楽勝よ」

「ひひっ、こんな美味い話もそうないしな・・・」

 前歯の欠けた小柄な2人が顔を見合わせてニヤけた。

「で、でも・・・姫様はあんな子供じゃないか」

 若者とは言えない大人に混じって、1人初々しい少年。

「ああ? ――大人とか、子供とか――関係ねぇ。“盗む価値”がありゃぁな」

「そうだ、そうだ。パンもロクに調達できねぇガキはすっこんでろ!」

 大人たちに睨まれ、納得いかないながらも黙り込む少年。

 黙りこんで、その姿を木々の隙間から覗く。

 

 前に見た――城の高い場所で手を振っていた。

 自分と目が合った気がした――決して、届くことの無い彼女と。

 

「ほら、サッサと行くぞ!」

 号令がかかる。

 少年はろくでなしの大人に続いて駆け出した――――。

 

 

 

「!!」

 異変に気が付き、イシャナの前に立ちふさがるエドガー。

「どうしたの、エドガー?」

 首を傾げてその背を見上げるイシャナ姫。

「・・・・・・」

 その視線は鋭く、強く威嚇するように前を刺している。

 ガサガサと木々を掻き分けて出てきたのは6人の盗賊。全員漏れなく――いや、1人を除いて汚い笑みを浮かべている。

「――死にたくなければ、去れ」

 エドガーが右手を振り払い、声を張って6人を威圧する。

「ひっひ・・・」

 しかし、盗賊共に離れる気配はない。

「騎士殿、騎士殿。俺らは別に姫様を取って食おうってんじゃない。ちょこっと遊びたいだけなんでさ」

 ひゃひゃ、と笑いを混ぜながらバンダナを巻いた男が歩み出る。

 警戒を強め、剣の柄に手を置くエドガー。そのいつもとは異なる雰囲気と状況に、イシャナは不安を覚え、彼の背に隠れた。

「もう一度だけ言おう――“去れ”。死んでしまっては後悔もできんぞ」

 鋼の左手を軋ませて、若き騎士は更に声を低める。

「死んで、後悔? どっちがかな?」

 ぞろぞろと陣形を組み、騎士と姫に近づく盗賊達。

「エドガー......」

 怯えた声が背に響く。その声が、騎士の心に火を灯した。

 

 

「 解らぬなら、知るがよい・・・ 」

 

 

左腕を伸ばし、手首を軋ませながら回転させる。

甲高い金属音を奏でる左腕を右手で掴み、肩ごと取り外す。

騎士は、取り外した義手を目の前に放り投げた。

 

 何事か、と盗賊達が足を止めて目を見張る。自分の腕をもぎ取って投げ捨てた、騎士の理解不能な行動。

 理解不能なことに惑う盗賊達は、いよいよ次の光景で混乱することとなる。

 

 甲高い金属音を一層激しく鳴らしながら。投げられた左腕がより複雑に、かつ大きくなっていく。

 意思があるかのように形を変えていくその姿。

 それを見つめる盗賊達の視線が、段々と上がっていく。

 

 盗賊達の視線が停止し、義手であったそれの“成長”が止まった時――。

 彼らの視界には、熊よりも一回りはでかい“銀の竜”が聳えていた。

 

 翼は無いが、直立したその姿は紛れも無く、竜。

 竜は“キンキンキンキンキン!”と、金属質な鳴き声を森に轟かせる。

 

「うっ、うひゃぁぁぁぁ!?」

 化け物の姿に、怯え、後ずさる盗賊共。

 

「さぁ――後悔しようか。野蛮な者共よ」

 

 剣を抜き、それを突きつける小魔道、“義手鋼竜のエドガー”

 その眼光は先ほどとは比べ物にならない説得力を帯びている。

「いっ、いやだぁぁぁぁぁ!!」

 あまりの恐怖に。盗賊共は叫び声を上げ、競うように森の深みへと散っていった。

 ただ、1人を残して――。

 

「・・・どうした、少年。恐れで動けぬか。だが、去れ」

 切っ先の照準を突きつけ、威嚇する騎士。

 突きつけられた少年は目の前に聳える竜に怯えながらも、退こうとはしない。

「ぼ、僕は・・・」

 歯を震わせながらも、少年は勇気を出している。

 視界には、聳える竜でも剣を抜いた騎士でもなく、その背に隠れた少女の姿――。

「僕はっ、その子と友達になりたいだけだっ!!」

 拳を握って、精一杯声を振り絞る。

 騎士はその言葉を初め、「?」と疑問符で迎えたが。すぐに表情を険しいものに戻した。

「少年、いいか、よく聞け。この方は――――」

「私と?? 友達にっ!?」

 騎士の声を遮り、前へと跳ね出るイシャナ姫。その目はきらきらと輝かしい。

「いいわ。素敵よ、そういうこと! ね、エドガー?」

 嬉しげな姫に唖然としつつ、エドガーは右の手で額を押さえた。

「・・・ええと、姫。いいですかな。その少年は盗賊で、あなたは姫で。つまり――」

「ね! あなたのお名前は? 私はイシャナ! イシャナ=エルタヴィス=フランドラよ!」

 既に少年に近づき、質問を始めているイシャナ。少年は憧れが急接近してきたので、戸惑って顔を赤らめている。

「ぼ、僕は・・・ブレイズ・・・フレア=ブレイズ・・・です・・・」

 間が多い回答。まともに答えることもままなっていない少年、フレア。

「フレア、そうっ、フレアね! よろしくね、フレア!」

 手を取り、顔を近づけるイシャナ。

 無邪気な動作に、純粋なフレアは怯えて硬直した表情を浮かべ、素早く「う・うん」と頷いた。

「・・・・・・」

 エドガーはすっかり戦気を失くし、「やれやれ」と呟く。

 溜息を吐き出した後、彼は少し緊張感のある声を出した。

「少年――ブレイズ、といったか」

「ぁは、はい!」

 少年フレアは緊張し、急いで声を出す。

「君は――盗賊だ。子供とはいえ、今まで、多くの罪をしたことになる」

「・・・はい」

 表情を暗くして、顔を下げるフレア。

「エドガー!」

 イシャナが振り返り、騎士に強く声を浴びせる。

 エドガーは「解っていますよ」と諦めた表情を返して、言葉を続けた。

「ブレイズ。これからは盗み、及びその他一切の罪を許さん――何せ、君は今日から“王国騎士”となるのだから――」

「はい・・・え!?」

 エドガーの言葉に、驚いて顔を上げるフレア。

「誇りを持て、少年よ。もっとも、最初は“騎士見習い”――だがな」

 若干不機嫌そうに言葉を続けつつ、義手の回収を始める騎士。

 少年はいきなりの展開に顔を固めたまま、呆然としている。

「さすがエドガーね! やったわ、フレア!」

 姫は彼の手を掴み、大きく上下させて喜びを表現している。

 

少年の表情が明るくなり、「はい! 解りました、騎士様!」と声が響いた――。

 

 

 

 そんなやり取りが終わると、気が付けば日が落ちかけているのだろう。上を覆う木々から差し込む光が薄くなっている。

「さて・・・それでは城へと戻りましょう。日が暮れた森は――」

「ねぇ、フレア! あなた、“素敵なこと”ってある?」

「す、素敵なこと?」

 嫌で、面倒な予感がしたのか。エドガーが「イシャナ様、ですから夜の森は――」と言葉を発したが、無駄なこと。

「そう! 何か素敵な物とか、場所とか、何か知らない?」

 外でできた初めての友に詰め寄るイシャナ。

「ええっと――綺麗な場所なら、知っているよ・・・ますです」

 緊張気味に答えるフレア。

 “綺麗な場所”と聞いてもう、止まらない姫。「案内して! どっちの方向?」などと跳びはねながら、少年の手を引っ張る。

「ああっ! ・・・あ〜あ・・・」

 エドガーはがっくりと肩を落として姫達の後を追い始めた。

 義手を取り付けながら、騎士は「やはり外になど連れなければよかった・・・」と、今更な後悔をしている――――。

 

 

 

 

 

 街を挟んで反対側の森には最近、魔物が住み着いたらしい。

 そんなことを言って、イシャナの冒険心を削ごうと試みる。

 

 魔物なんて、見たことないですよ――と付け加えるフレアを一瞥。

 それに勇気付けられたのか、いざとなったら英雄が護ってくれる・・・と姫。

 

 炎の魔物の噂なんて、自分だって小耳に挟んだだけに過ぎない。

 ただ、なんだかそこには行きたくなかった――きっと、そうに違いない。

 

 

  何かが、決まってしまう予感がして――

  何かが、代わってしまう予感がして―――

 

 

 

 

―――― その丘は、昼間はなんてこと無い、ただの草原 ――――

 

 

夜。日が落ちかける、夜の入り口。

 

 

周囲の森は夜に輝きを失うが――この丘は、夜にこそ輝く。

 

 

                                       ☆

                             ☆

          ☆

 ☆

 

 

流れ星の丘の上で――3人は空を見上げた。

 

 

 見上げた夜空には、輝き、同じ方角へと流れる無数の輝き――。

 

 

 少女は言葉を失って・・・ただ、空を見ていた。

 

 少年は言葉を出さず・・・ただ、空を見ていた。

 

 

 騎士は言葉を飲み込み――――――。

 

 

 

 深い青が黒へと染まり行く空。

 

 夜を無数に流れる、輝きの川。

 

 霧なんて必要が無かった。幻想は、ここにもあった。

 

 

「・・・夢ではないのよね、フレア」

「・・・僕にも、解りません、イシャナ様」

 

 2人は互いに、夜空に不思議を感じながら・・・同じに「綺麗だね」と微笑んだ。

 

 

 顔を合わせずとも、言葉を出さずとも。少年と少女は心を通わせていた。

 

 もちろん、2人はそんなこと意識なんてしていなかっただろう。

 ただ、2人を見守る騎士は。夜の丘に立つ2つの影の近さを――理解していた。

 

 

 騎士は少し離れて2人を見守りながら・・・空の美しさを、認めていた。

 

 

 

 

 

 城への帰り道。もっとも、フレアにとっては“帰り”ではないのだが。

 流れ星の正体は「光コウモリ」なんだと少年が伝えた。

 

 ただ、単に。日中に活動する珍しいコウモリが大群をなし、巣である洞窟へと合流しながら帰っていくだけの景色・・・理屈が解れば夢でも幻想でもない。

 

 そう、その事実は夢でも幻想でもない――それでも、その“光景”は、夢なのか幻想なのか解らない。

 2人は「不思議だね」と顔を見合わせた。

 騎士はまだあどけない2人に「その感性を忘れないように・・・」と優しく伝えた。

 

 

やがて、城が近くなった。

月に照らされ、川の流れが見える橋の上。

 

2つの小さな影と、1つの影が楽しげに、和やかに歩いている。

 

 

 

 

――――それはまだ、王様が咳を始める前。

暖かく、平和な王国でのお話――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君が噂の大魔道、“火炎造形士”か」

「はい。これより、貴国の大学で研究をさせていただきます」

 

 

 

「トーレ。今日、王が咳をしたそうだな……」

「ええ――“問題なく”……ね、叔父様」

 

 

 

「馬鹿共は“上手くいっている”――か?」

「はい。“彼らとしては”順風満帆です」

 

 

 

 

 

 

 

「……フレア。お前に魔術の才は無い。剣に生きろ」

「えっ、イヤですよ! 俺はあなたみたいになりたいんだ」

「――まったく、我侭になりおって・・・姫の悪い癖を真似るな」

「あら、私の悪い癖って何かしら、エドガー?」

「……いえ。何でもありません」

「イシャナが我侭だってさ」

「! エドガー?」

「ああっ、もう。いいから修行を続けるぞ、フレア!」

 

 

 

3人の笑い声が城に響く。そんな日々が――――――――・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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