PART

 

 

 黄金虫を拾った。初夏の夜、黄金虫を拾った。

 

 

 その虫はレンタルビデオ屋の電灯に何度もぶつかっては落ち、ぶつかっては落ちる愚行を繰り返していた。

 

 店の脇に置いた自転車に跨ろうとした時にふと、見上げた光景。

 視線の先にもがく姿が不可思議で、私は暫くそれを見ていた。

 

 やがて、疲れ果てたのか。その虫はアスファルトの上に留まり、飛ばなくなった。

 

 自動販売機の光が私を照らしている。

 

 

 私は、自転車を引きつつ、近寄った。

 

 電灯に照らされるアスファルトの一端。

 その光を反射する虫は黄金に光っている。

 

 しゃがみ込み、摘み上げた。

 こうなってはなす術も無い黄金の虫は、私を驚かせる程無抵抗で、動きが少ない。

 

「本当に疲れていたんだな……」

 

 私はその子の背をそっと撫でてあげた。

 黄金虫はそれでも動かず、しかし生命はしっかりと伝えてきて……。

 

 ともすれば、私にあてつけているのか、とすら思える。

 

 私は自転車をこぎ始めていた。

 肩に乗せたその子が。影の中にあっても黄金であることなど、気がつきもせず――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普通の学生だった。あまりにも、普通の学生だった。

 

 家族に問題は無く、友人関係に大した不満も無い。学業も決して優秀とは言えないが、悪いとも言えない半端な程度にある。

 苦手な授業は数学。得意な科目は英語。ただ、どちらも致命的でも決定的でもない。

 

 

 生きている上で、どうしようもなく不幸なわけではない。生活での不満をブログや掲示板で訴えても、一笑の下に終わってしまう……そんな程度に過ぎない。

 

 

 何か大きな問題があるわけではないが、漠然としていて常に鬱。

 しかし病的なほどではなく、薬を必須とする程でもない。

 

 先が光っているのか曇っているのかも解からないのは年のせいだけではない。

 

 

解かっている。私には、眩しさが無い。

 

 

 容姿が普通だとか、身体が普通だとか、頭脳が普通だとか……そういったことではなく。

 「あなたは何ができますか?」――この質問が怖い。

 

 決定的な「コレ」という特技やモノが無い。だから、常に自分のあらゆることに上が存在することを感じて、今一自信を持てない。

 

 飛び抜けたいと何度も、何時でも考えている。

 分不相応なのは重々承知だが、それでも「普通」なのが嫌だ。

 普通な人生を心底馬鹿にしているし、特別な人生に心底嫉妬している。

 

 

 眩しく生きたい――――

 なぜあの人は同い年なのに眩しいのか。

 あれを見よ。いつかはあんな普通の人間になってしまうのか。

 

 先を考えるとぞっとする。希望も時折抱くが、根拠が無い。

 

いつか変わるさ――――そのうち期が訪れるさ――――

 

 嘘を吐かないでくれ、頼むから。泣きたくなる。

 

 

 

 自殺を罪だと、自殺をくだらない行いだと、自殺を幼い精神の末路だと、世は訴える。

 

 本音を言ってくれ。「普通以下の人間が減ってしまったら、成功した自分が落ちてしまうよ」――と。

 他者にある成功の基盤として生きるくらいなら、無いほうがマシだ。そのことに気がつくと都合が悪いのだろう?

 

 ステレオタイプな人間本能を利用しやがって――。利用、されやがって…………。

 

 

 

 

 

「ただいま……」

 そう呟いた私。

 居間から扉越しに「おかえり〜」と声が聞こえてきた。

 

 定まった動作のように、特に反応もなく階段を登る。

 階段を登ってすぐにあるのは弟の部屋。いつものように閉まっていて、中は見えない。

 彼は今年受験なのできっと勉強をしているか、寝転がって携帯から音楽を聴いているのだろう。ついこの間まで戦隊ヒーローに夢中だった彼は、気がつくとインディーズバンドを追いかけるようになっていた。その内ギターでも買ってしまいそうだ。

 

 隣が自分の部屋で。 入ると落ち着くもなく、あるのが当たり前な事で。

 

 時刻は7時過ぎ。テストはまだ遠く、それ以外に勉強をする気が無い私はここからの時間をなんとなく過ごす。パソコンを開いて動画を見たり、何度か読んだ漫画を気まぐれに開いて読んだり、イヤホンを着けてBGMに心を寄せたり――――。

 友人からのメールに反応して携帯を開いた。

 内容はくだらない。部活の愚痴だった。

 

 かつては私も友人と同じ部活に入っていたのだが、二年の6月に辞めてしまった。

 理由は単純に、飽きてしまったから。

 

 ただ、辞めたからといって何かするのか? というと、そんな予定も無く……。

 他人の産み出した作物を眺め、それに浸ったり、それを品評してみたり。そんな時間が増えた。

 

 

 

何てことは無かった。この日も、私はいつも通りだ――――

 

 

 

 ――――そう思って油断していた私は机の隅にある動きに気がつき、目を見開いた。

 

 何かと思った。思ったが、すぐに思い出した。

 何を思ったのか肩に乗せて運んだそれ。

 あらためて見れば単に気持ちが悪いだけ。

 

 

黄金虫はいつの間にか肩から降りたらしく、机の隅に居座っている……。

 

 

 自分で連れ込んでおいてなんだが、気分は良くない。

 そもそも、私は虫が大嫌いだ。それが自分の領域にいると解っただけで不愉快。

 

 そろりと動き、ティッシュを何枚も重ねてゆるりと忍び寄る。

 

 ハッシ! といきなりの加速を用いてその身を捕らえた。

 いや、自分でもさっきはよく素手でつかめたな……と感心する。

 

 変わらず無抵抗な存在を感じながら、私は窓を開いた。

 

 そこからホイ、と投げ捨ててしまおう。紙資源の無駄使い、お許しください――。

 

「…………あれ?」

 

 

 

PART1 /

 

 雀の声。

 閉められたカーテンは全てを受け止めきれず、光を若干に透かしている。

 

 目覚めの時を告げる携帯を封じ、身を起した。

 ここでいつも迷う。「あと3分は横になれるんだ……いや、あの道を右に行くのなら5分は大丈夫」。

 そんなことを考えていっそのこと今日は学校を――などと思っていると、甘えを見透かしたかのように部屋の扉が開いた。

 子を産んだ女は、超能力を得るものなのだろうか……?

 

 

 ニュース番組を半分の意識で見ながら朝食を食べ、制服に着替えて「ああ、もう行くしかない」と覚悟を決める。むしろここから休む方が面倒だ。

 

 何か母が言ってくるが、「うん」「ぬぁ」「ん〜」の3語をテキトウに混ぜて返した。

 

 

 中身を変える必要のない鞄を前にして大きく伸びをした。

 

 ああ、今日も始まる……。

 

 そんな言葉が口を吐く。

 面倒くさそうないつもの私は、再び思い出したように掴み、今度はポケットに入れた。

 

 

 

 

 

 少し高台にある家から出ると、暫くは道を緩く下ることになる。

 元々は丘であった住宅街をゆったりと旋回するように過ぎていく。

 

 空の雲は相変わらずで、空の青も相変わらずで。

 

 坂を下り終えるといきなり交差点なので注意が必要。ここで事故がよく起きる。

 何せ下ったすぐ後なので、油断してはいけない。何とかしろと言っても何ともならないのが行政の所業。

 

 

 チャリンコを漕ぎ回して奔ること20ウン分。

 裏門から入った方が自分の自転車置き場に近い。

 

 朝礼8分前に下駄箱で靴を履き替え、教室に向かう。

 ここから自分の机に座るまで、目を瞑ってでも行けそうなくらい当たり前のプロセス。

 ただ、一度本気で「――行けそうだな」と思って目を瞑ってみたが、だめたっだ。

 

 

 今日の授業に移動教室の数は――2個。体育は3限か〜〜。今はバトミントンだからまぁ、許せるか。5限は美術(休み時間)ね。

 ほうほう、つまり2限の英語さえ越えれば授業中に気を張るものは無いってことか。

 

 そんな一日の目算を立てて、大体の予定を見据えた。

 

 

 机に座ると声がかけられる。

「おはよ。昨日はありがとね!」

 話の相手は昨晩のメール相手。メールの感じだと大分頭にきていたようだが、一晩で吹っ切れたようだ。いつもの明るい表情で安心する。

 そんな友人と話をしていると担任が教室に出現し、朝礼を始める。ただ、そんなに厳しい人ではないので、彼の話中でもおしゃべりが教室のそこら中に咲いている。

 

 私も友人と話をしているのだが、内容はやっぱりくだらなくて。

 思った以上に執拗な友人の話を方耳に、私は教室の様子を軽く眺めていた。

 

 いつものように男子の中心は高山で、席が自分より後ろなので聞こえないが、遠慮も無い彼らの笑いが聞こえてくる。

 

 やっぱりバド部とバレー部の確執はあり、桃木と小杉はそれぞれ群れを形成して少しも目を合わそうとしない。

 

 

 どうやら彼は日本語が達者らしく、華やかな桃木のグループと仲の良い男連中に混ざって、既にその中心にある。ここに来てまだ3日なのに、凄い順応性だ。

 

 

 そしてあの人はやっぱり……いつものように無言で。誰も彼の方を見ず、誰も彼と話していない。

 気弱で、大人しいあの人はああなってしまう定めだったのだろうか。

 

 しかし、それでも私は知っている。あの人は私とは違って、眩しさがある事を――――。

 

 

 

 

 昼休みになり、一緒に花を摘みに行った友人は途中、小杉に声をかけられて部室へと向かった。

 1人になり、教室へ戻ろうと校内を歩く。

 

 中庭に目を向ければ3年生が我が物顔で居座っている。ふと、走り回る数人が何をしているのか気になって暫く観察していたが、どうやらいい年した彼らは鬼ごっこをしているらしい。・・・・・・平和なものだ。

 受験のストレスでちょっと精神にきているのだろう、と冷めた視線を落として私は歩を進めた。

 

 

 階段の前を通った時。まだ聞き慣れていない声が聞こえてきた。

「や、やめてくれ……」

 華奢なその人は奪われたノートに手を伸ばしている。

 ノートを手にしている男子はその手を振り払い、愉快気な笑みを浮かべて他の2人にも見せた。他の2人も、やっぱり愉快気に笑い、その人に言葉を投げかけている。

 その人は、彼らの言葉を受けて、俯き、そして黙り込んだ。

 呆然とその光景を見ていた私は、計算したわけでもなく、そんな勇気も無かったのだが。どうやら3人の男子は私の視線に気がつき、面倒を感じたらしい。

 彼らはその人のノートを投げ捨て、ニヤニヤと楽しげに話しながら階段を下っていった。

 

 投げ捨てられたノート。

 その人は私に気がついていないのか、こちらを見ることもなく、静かにノートを拾い上げ、そのまま階段を上って行った。

 

 

 

 いつもの……普通な光景と、私。

 やっぱり、私は普通が嫌いだ。

 臆病で、周りに合わせる自分が嫌いだ。

 

 こんな自分に、自信なんて持てるわけがない......

 

 

 

 いつの間のことか。黄金虫は私の肩に乗っていた。

 

 教室に入る前に気がついた私は、光無くとも鮮明な黄金であるその子をポケットに戻した。ただ、それさえも周囲の目を気にし、虫をポケットに仕舞う自分を人が見たらどう思うかなどを考慮しなければならない今が、たまらなく、嫌いだ――――。

 

 

 

 

 学校は終わり、急く友人を教室で見送り、私は帰り支度をすませた。

 

 自転車置き場で鍵を外していると運動部の声が聞こえてくる。かつては私もあの声の一部だった。でも、それは皆そうしているから、という理由で動いた結果だった。

 入学時に流されて決めた決断なんてやっぱり曖昧で。結局、半端に終わってしまった。

 

 裏門からスイ、と漕ぎ出て見慣れた景色にとくに感ずることもなく、行く。

 

 4時前の景色はさすがに夏というだけあり、まだまだ明るい。

 

 途中にあるコンビニから、同門の生徒達出てきた。

 何を急ぐのか。凄い勢いで私を追い越していった男子生徒。

 

 衣替え移行期間なので、校内の半分以上は既に夏服。私もそろそろ変えようかと思っている。さすがに、自転車通学をすると汗もかき、もろもろと気になることもあるからだ。

 

 

 帰り道、私はちょっと寄り道をして本屋に立ち寄った。特に目的はなくて、なんとなく。

 

 1時間くらいふらふらと店内を彷徨い、結局小説を一冊買って店を出る。

 

 自転車で奔っていつもの帰路。

 考えていたことは覚えていない。ただ、空は晴れていた。

 

 1人で、こうして自転車を漕いでいると、ふつふつと考えてしまう。

 慣れた道を行く工程は特に刺激も無く、考える時間を私に与えてしまう。

 

 

 このまま生きる――きっと、普通に生きる。

 ありがちな、平均的なまま、生きる。

 

 それはつまり、幸せだという基準が平均か、それ以下だということ。

 私には、宝くじを買って1万円でも当たれば結構な幸福になってしまう。

 

 贅沢な、分不相応な想いなのかも知れないが。それでも、私はそんな幸福を幸福と思わず済ませる人生が欲しい。

 

 ステージで嵐のような拍手を浴びることすらが日常で、当たり前な人生ならば。

 きっと、訪れる幸福は想像を超えたもので、普通からすればありえないような事。

 

 

 わかっているのになぁ〜。そこまで望んでいないのにな。

 ただ、私は自信を持てる光が欲しい。例えば、あの人の苦しみを守れるような――――

 

 

“ プァパーン! ”

 

 

 何の音だろう、そんなことを考えた。

 

 私は、前を見ているようで見てはいなかった。

 いつもの道を、機械のオート制御のように奔っていた。

 

 いつもはその交差点を通過できていた。

 いつもはその交差点を渡る私に向かってくる存在もなかった。

 

 

 嘘みたいにゆっくりな視界の中。その青色の乗用車は私に近づいてきている。

 

 危険だ、とすら思う間もない。自転車の上の私は、自由に避けることもできない。

 

 思いはしなくても、体は反応したのか。何故か私は止まっている。

 もちろん、前に進んでも間に合わなかっただろうが、危機に接して私は硬直した。

 

 

 ああ、当たる――当たれば死んじゃう。

 

 そんなことをもう、どうにもならない距離まで迫られてから理解する。

 

 

 ……でも、どうせこの先の人生に希望なんて見ていない。

 負けた存在として、優れた人生に吸い取られる人生ならば……私は――――

 

 

 

私は、光が欲しい。

 

 

 

 突き出した拳。

 

 その子は気がつくと肩に止まっていたらしく、顔の横を過ぎる姿が見えた。

 

 

 か細く、別に武道も習ってなどいない無力な拳に。

 日の光を反射して、一層に輝く黄金虫は――――――留まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黄金 光線

 

 

― 時田 浩介にヨル5対 ―

:コガネムシ