$   積み木の町   $

 

 

 その人は本を読んでいた。無数の住居を雑に固めたような集落の一角。最近禁煙を始めたその人は幻想の世界に浸っていた。

 

 積み木の町には、今日も二人の思い出が刻まれている――。

 

 

 

Act0

 

 あなたは既にこの世にいない人と付き合えますか? そう、例えば“幽霊”と……。

 その人は色白で(死んでいるからというわけではない)、身が細く、胸はあまりないけど優しい香りがします。

 その人はいつも困ったような表情をしていますが、顔立ちは綺麗で、笑うと心から癒されるような女性です。

 

 イビツな螺旋のように登っていく街路地。この町はもともと丘の上にあった集落がしだいにエスカレートして、家をあらゆる隙間という隙間にねじ込むように建てたものです。外から見るとカラフルな積み木を三角形に積み上げたようにも見えます。

 今では人も少なくなりましたが、昔は旅人や商人の方達でそれはもう、鬱陶しいくらいに混みあっていました。

 この積み木のような町には今、高齢化の波が押し寄せてきています。若い人はこんなつまらない、孤立した場所になど居たくないのでしょう。

 かく言う私も若者ですが、この町を出るつもりはありません。多少の不便はありますが、それは都会と比べてのこと。他は他、内は内で考えれば決して居心地は悪くありません。

 娯楽施設が無くたって人は生きていけるんです……なんて、本当はちょっと都会に憧れてますけどね。

 実は、僕がこの町を離れない本当の理由は――ちょっと照れますが、彼女のため……なんです。

 彼女はちょっと体が不自由というか、そもそも体が無いというか――平たく言うと「地縛霊」というものなのでここを離れられません。

 理由? そんなものは知りませんよ。だって僕は彼女と話せませんから。彼女はただ、僕の話を聞いてくれて、僕にかわいらしい笑顔を見せてくれるだけです。それが幸せでたまらないから僕は彼女が好きですし、だからこの町も離れないわけです。

 

 この町で学校教育は15才までしか受けられないので、僕は既に働いています。働くといっても、趣味の延長のようなもので。幼い頃からこの町の工芸品である「カブラ家具」の製作に関っていたので、今もそれの製作を行っています。「職人」といえば聞こえはいいですが、最近はカブラ家具の需要も減ってしまい、大抵は暇にしています。

 さすがに稼がないと死んでしまうので小銭稼ぎに路地掃除のバイトも兼業中。

 街路地掃除は決して楽しくはないですが、町の情報が色々と入ってくるので便利ではあります。それに仕事といっても町の方々とお喋りしながらの緩いものなので苦にはなりません。カンスケット治安官さえいなければもっと最高ですが……。

 

 早朝に始めて昼が少し過ぎた頃には仕事が終わります。

 彼女は僕以外、誰も居場所を知りません。ちょっとやそっとじゃ解らない場所にいますから。

 仕事が終わったら、少し遅めの昼ご飯を持って彼女の元へと向かう。もう、2年間も続いている僕の日課です……。

 

 

 

Act1

 

 人もまばらな昼下がり。青髪の男は挙動不審に辺りを見渡している。周囲には似たような家々が並んだり・乗っかったり・食い込んだり……。自由奔放な有様で彼を囲っている。

「ここは――どこだ?」

 少し立ち止まって細くて圧迫感のある町並みを見渡す。彼はこの町を「積み木の町」という二つ名で聞いていたが、むしろ「おもちゃ箱の町」が相応しいのでは? ――と思えてくる。

 彼は別に記憶喪失などではない。純粋に“道に迷った”のである。いや、しかしこれは仕方のないこと。住民や彼の相棒のような相当な切れ者でないかぎり、この迷路のような町で迷うのは当然のことである。

 呆然と立ち尽くしていた青髪の男に何かがぶつかった。

「あっ! す、すいません!」

 青髪の男にぶつかってしまった青年は少し焦った様子でどもりながら頭を下げた。眼鏡をかけた真面目そうな青年は落としてしまった小包を拾って再び駆け出す。

「おい、ちょっと待ってくれ」

 青髪の男はそう言って眼鏡の青年を引きとめた。目つきがナチュラルで既に悪い上に、焦っているので相当顔つきは悪いことであろう。

 案の定、振り返った青年は不安そうな表情を浮かべた。

「道に迷って困っている。すまないが、“リンゴ”という宿屋を知らないか?」

 かなり迷ったのでここぞとばかりに道を聞く青髪の男。侍の気質か。ウブな彼は中々見知らぬ人に話しかけられないので、これはいい機会。切実な表情で青年の肩を掴んでいる。

「“宿屋リンゴ”……って。ここですよ?」

 意外そうな表情の後に、すぐ隣の家を指差す眼鏡の青年。

「え?」

 指の先を見たが、それは青髪の男が知る宿屋ではない。

「若夫婦の自宅も兼ねてるので、こっちが玄関なんですよ。この裏に看板がかかったりしてますから――」

 青年が説明して、ようやく事態を飲み込めた男は少し顔を赤らめ

「そうなんだ……」

 と微かに呟き、「恩にきる」と丁寧に礼をしてから足早に街路地を駆けていった。きちんと店側から入ろうとするところに律儀さを感じさせる。

 眼鏡の青年は見慣れぬその男が「旅人なのか移住者なのか、変わった服装の人だなぁ。ま、きっと旅人だろうけど。珍しいこともあるものだ」などと考えた。

 物珍しく青髪の姿を見送った後。眼鏡の青年はいつものように彼女の元へと急いだ――。

 

 

 

Act2

 

「どぉこ行ってたんだよ。大人しく待ってろっつったろ?」

 ふてぶてしく机の上に足を重ねた男は本を閉じて眉をひそめる。

「いや、例のカブラ名物“マチョッカ”を食べに……そしたら迷って……」

 青髪の男は手にしている黒い布に包まれた細長い“物”を壁に立てかけた。

「だからさ、言ったじゃん。ぜってぇ迷うからうろつくなって。時間まで大人しくしてろよ、と」

 指を突きつけるように青髪の男に向け、態度が悪い男は少しイライラした様子で本を机に放り投げた。帽子かけには赤黒い色のコートが引っ掛けられ、余っている椅子の上にはツバの広いテンガロンハットが置かれている。

 

 宿屋「リンゴ」の一室で言葉を交わすこの二人はこの町の人間ではない。だが、旅人というわけでもなく移住者というわけでもない。彼らはビジネスのため、この町に来た。

 町の自治体から電話が入ったのが3日前。それから途中やや面倒はあったものの、比較的順調にここ、『カブラの町』に辿り着いた。交通の便が最悪なので、正に「辿り着いた」形である。

 2人はそれぞれ、態度が悪い方が「イーグル」。青い髪の方が「龍進」という名なのだが、職業柄コードネームで「朱雀」「青龍」と名乗っている。

 コードネームを必要とする職業にはそれなりに「危ない橋」を渡るものが多い。彼らはかつてゲリラのような活動をしていた時、コードネームを用いた。今は「四聖獣」という何でも屋紛いをやっている。別に今となっては本名でも支障はないのだが、昔の癖と恩人への愛着で彼らはコードネームを使い続けている。

 マイナー、良く言えば「知る人ぞ知る何でも屋」である彼らへの電話はこの町の自治会長からのものだった。ホームページなどというハイテクなものは存在しないので、どうやって知ったのか。おそらく苦労しただろう。

 電話で聞いた依頼は「町の活性化」という、そんなものはどっかの資産家にでも頼め! というもの。だが、電話先の会長が言った「町の呪いを解いてくれ」という一言が彼らの心を引きとめた。

 「呪い」や「幽霊」などという単語が出る事件は大半思い込みが激しい変人によるエライ迷惑に過ぎない。

 だが、「四聖獣」は“マイナー”な組織である。わざわざネットで検索してもカスリすらしない奴らに仕事を持ち込む依頼主――。

 彼らを知ることはそれなりに信用がある、業界に詳しい人との伝(つて)が無いと不可能。そして彼らを知る業界人はかなりマニアな方々。その選定をくぐるにはかなりの“必死”さと“真実性”が必要である。

 よって、彼らに持ち込まれる“胡散臭い依頼”は高い確率で“本物”。

 電話では「呪い」については詳しく言及しなかったが、青龍の強い希望もあって依頼を引き受けることになった。

 

「“カブラ家具”は呪われてしまったんです。昔は名産品として各地で名を馳せていたのですが、今はどこからも敬遠されてしまって、とてもではないですが商品として数えることはできません……」

 町の町長も同席した依頼契約の席で、自治会長は寂しげに語っていた。この町に生まれ、この町で家庭を築いた、数少ない働き盛りの男が語る言葉には一言一句に重みがある。

 彼の町を思う心が伝わり、「誠心誠意この依頼を引き受けよう……」と青龍は着物を正す思いで気を引き締めた。

 一方。隣の朱雀は出資者となる町長の前で、軽やかに電卓のキーを弾いていた――。

 

 

 

 

Act3

 

 町にはいくつも家具工場がある。しかし、その大半は既に潰れてしまった、ただの空き家である。

 入り組んだ細い路地だが、眼鏡の青年は迷うことなくスラスラと駆けていく。

 青年の名は「アメット」。父は“ブルーメンブランド”というカブラ家具職人の中でも上位にある技術を継ぐ職人で、母は“マチョッカ”という町の名物料理を編み出した料理人。共に早くに亡くなってしまったことは非常に残念である。

 これから恋人に会うためか。上機嫌なアメットは途中、ドラム缶の上に座っていた黒猫に「こんにちは!」と挨拶をした。

 黒猫は「ウニャゥ……」と押し殺したような声で答えた。

 

 “ブルーメン”とロゴが入った廃工場の前でアメットは立ち止まる。ヒビが入ったガラスで服装を正し、髪型をちょいちょいとイジってから彼は工場跡に入る。

 かつては職人が多く勤めていたこの工場も、父の死後は衰退し、今ではもう、人の姿は無い。

 そんな寂しげな工場跡も彼には明るく照らされているように感じられる。作りかけで置き去られた家具の成りそこない達を尻目に、彼は工場内を慣れた様子で進んだ。

 

 工場は3つに区分されているのだが、実は4つ目の区分が存在する。それは「仮倉庫」と呼ばれる場所で、一部特注品を置くための部屋である。

 当時は鍵がついており、工場長や技術長くらいしか入らなかった。だが今は鍵もついていないし、あるのは古びて湿気った家具くらいなので自由に出入りできる。

 だいたい、こんな所に出入りするのはアメットくらいのもの。この工場自体、町の人からは存在を忘れられているだろう。

 鍵を失った扉を開いたら、そこにはいつものようにその人が優しく微笑んでいる。

 アメットはいつものように彼女の元にフラフラと近づいていく。そう、求めていた宝物にすがる探索者のように。

「おかえりなさい……」

 言葉は聞こえないが、アメットにはそれの声が確かに聞こえていた――。

 

 

 

 

 

 

Act4

 

 カブラ家具が廃れた理由。その1つは「有能な職人の損失」。

 かつてブルーメンを筆頭とする複数の職人流派が「カブラ」という大きなブランドの中でさらにそれぞれのブランド力を競っていた。

 しかし、ブルーメンの技術長を皮切りに次々と職人達が変死をとげた。

 死因は全て「箪笥等の大型の家具の下敷きになり圧死」というもので、1人なら事故で済むがこれが複数となるともはや“故意の原因”以外に考えられない。当初の人々は当然、誰がこんな事件を起こしているのかと大騒ぎした。

 そんな中、殺人・つまり“生きている人間による殺し”よりも根強く囁かれたのが“死んだ人間による殺し”――つまり「霊による殺人」である。

 突拍子も無いような説だが、これにはそれらしいストーリー(説)もついている。

 

 実は事件の数年前。若い女性がブルーメンの工場内で、箪笥の下敷きになって死亡したのである。彼女は色白の細身で、口数の少ない人であった。

 20の誕生日を1日過ぎた日。彼女は工場の倉庫内で高級なカブラ箪笥の下敷きになって圧死した。死に様はうら若き生娘としてはあまりにも悲愴で無残なものであり、押しつぶされた上半身は顔面を中心にとても生前を振り返れるような状態には無かった。

 この事故は抑えの金具を付けていなかった工場側にも責任があった。しかし、結局は責任者不在の「事故」として扱われることになる。

 不自然な突然死の1件目は事故の現場であるブルーメンの工場、そこの技術長(実質のトップ)であり、さらに死にかたも「圧死」であったため、人々はその後の事件も「娘の呪い」として恐れたのである。

 

 ――と、ここまでの情報を町長と自治会長から得ることができた。

 これまでの情報を頭で軽く回しながら、朱雀は幻想の物語を読み耽っている。

 螺旋状の町の上層部に位置し、町に珍しい新築の豪邸。大きな窓からは緩やかに下がっていく混雑した町並みが見下ろせる。

 白くて広いベランダの柵際にある、白い椅子に腰掛けて本を読む。

 白色の机に置かれた金縁のカップから湯気が上がり、花瓶に刺さったラベンダーの花がオシャレな香りを漂わせている。

「おまたせして悪いわねぇ……」

 ノソノソと、背骨がほとんど直角に曲がった老婆が金粉を塗した杖をつきながら歩いてきた。

「ああ、いえ。こちらこそ突然押しかけて申し訳ありません、マダム」

 椅子から立ち上がり、被っていたテンガロンハットをとって腰を45度に曲げる朱雀。

「あらまぁ、構わないわよ。こんな年でも素敵な男性が来てくれて、嬉しくってねぇ」

 朱雀の丁寧な所作に気を良くしたのか、老婆は頬を染めて彼を「まぁ座りなさいよ」と促した。

「どぉかしら、素晴らしい眺めでしょ?」

「ええ、町の外まで見渡せて……壮観ですね。白を基調としたベランダも綺麗だ」

 穏やかな表情で言葉を繋いていく。

「おほほ、そうでしょう? あたしは白色が好きでねぇ。屋敷も素晴らしいのよ?」

 老婆は一層テンションを上げて金色の歯をこれでもかと見せつけながら笑っている。

「――それで、マダム。聞きたい話があるのですが……」

 朱雀は身を少し前に出して声を落ち着けた。

「ええ、ええ。何でも聞いてちょうだい」

「はい、では――」

「あら、あなた宿はどこをとっていらっしゃるの?」

 言葉を遮るかのように老婆は話の流れを断ち切った。

「宿は町の宿屋を利用していますが……」

「あらまぁ、こんな田舎町に大層な宿など有りはしないのに……そうだ、よろしかったら家にお泊りなさいな! 老人の一人暮らしは寂しくてねぇ」

 立ち上がって何か使いの者を呼び出す老婆。これはラチがあかないと判断し、朱雀は少し視線を尖らせた。

「マダム……申し訳ありませんが、幾つか質問をさせていただきたいのですが」

「――え。ええ、ええ! そうね。そうだったわ。聞きたいことがあるのよね」

 老婆は、静かに腰を下ろした――。

 

 

 

Act5

 

 目当ての食事も終えて部屋で目をつぶって待機。1人での散策はまた迷うかもしれないので自重する青龍。部屋は比較的丁寧に手入れされており、代金に見合ったサービスもある。80越えの老夫婦ならではの軽快なコンビネーションが売りだ。

 宿屋リンゴの外観はお世辞にも綺麗とは言い難く、明らかに築数十年物。石造りなので下手をすれば数百年は経っていそうなほど趣がある。

 

 部屋で1人考える侍の脳裏にはマチョッカのレシピや味が渦巻いている。思い出しただけでヨダレものなマチョッカは、ポテトが核を成し、トマトソースがその衣として正に“纏われている”かのようにとろみ付く熱々の品。組織のリーダーがトマト嫌いなので、彼女の為に是非とも習得したいところである。

 

 そんな料理談議が脳内で繰り広げられた後、青龍は自治会長の境遇を思い出した。

 自治会長の家は娘3人おり、最年長でも15才である。町に2人だけとなってしまったカブラ職人の1人である彼はもちろん家族を養う為にもだが、40年近く過ごしたこの町の為にも、その象徴でもあるカブラ家具を復興させたいと願う。

 友人は学校教育が終わるとあるものは上位学校に、あるものは都会に夢を見て彼以外の全員が町を離れていった。

 彼だって上位教育を望んだし、都会に若者らしい希望も抱いていた。だが、彼もいなくなり、若者がいなくなったこの町はどうなるのであろう。残された父や母は? 近所のおじさんおばさんは? まとめて引っ越す?

 若ければ無鉄砲でも希望を持って旅立つこともあろう。だが、老人となった父母の世代には無理ができない。衰退した町の経済のあおりで、大半の町民はギリギリの生活を送っている。

 たとえここで彼が町に残ってもそれだけで町が良くなるわけではない。だが、それでも自分を育んでくれた土地を、人々を、町を見捨てることなどできない……。

 自治会長は話の最後にこう締めくくっていた。

「カブラ家具は決して、今でも品質や価値は落ちてなどいない。むしろ改良と工夫も重ねて、古き技術の伝承も損なってはいない。ただ、不幸なだけ……。

 事件のあった60年ほど前から工場で立て続けにおきる事件、事故。それは死亡事故だけではない。家具の理由不明な破壊や破損はなぜおきる? なぜ、ただ町を守りたい、伝統を守りたい自分達の思いはどうしてこうも虐げられるのか…………!?」

 少し興奮気味に、最後は唇を食いしばって涙を浮かべた会長の姿。青龍の心は志ある者として、彼の熱い心に共鳴して震えていた。

 聞けばマチョッカの発明者も奇怪な事件の犠牲になったと言う……。

 

 青龍はゆっくりと目を開いた。潤んだ瞳はそのままに、精神を昂らせる。

 昂った彼の心は燻っていた頭の引っかかりの正体を掴む。違和感はそう、昼下がりのあの少年……。

「ピリリリリリ、ピリリリリリ、」

 青龍の横でいかにも着メロな電子音が鳴った。

 彼は一瞬ビクッた後、慣れない動作でそれを開いた――。

 

 

 

 

Act6

 

【夫のカンスケットは優秀な治安官でしたのよ】

【今お話した事件も、捜査の指揮を執ったのは夫でね。呪いだなんて町の衆は言ってたけど、夫は“これは殺人だ”と申しておりましたわ】

【最初の事件? たしか……ブルーメンの工場ですわ】

【ああ、そうそう。それの第3――いえ、第4倉庫、とかいうお部屋でその娘は亡くなったのよ!】

【お泊りは……そう、しかたないわね】

【あら、そうだわ! 良い娘がいるのよ。私の姪っ子なんだけどね、これが美人と評判で……うんうん。そうね、写真はえ――っと……】

 そう言って老婆が出した野生の土佐犬の様な姪っ子の写真を思い出し、朱雀は眉間にシワを寄せた。

『どうした? で、どこに行くって?』

 手にしている携帯の先から聞こえる青龍の声で我に返る。危うくそこら辺の人を殴るかと思うほどイライラが積もっている。

「あ〜、あれだ。つうことで“ブルーメン第1工場”っていう廃工場行ってくる。出そうになったら呼ぶから」

 乱暴に通話を切り、片手で携帯を閉じる・仕舞う動作を流れるように行う。

 朱雀はツバの広いテンガロンハットを深く被り直して路地裏を廃工場へと向かった――。

 

 

 

Act7

 

 通話が切れた後、閉じる・開いちゃうを2回ほど繰り返してからそれを置く青龍。

「殺人“事件”……ブルーメン……伝統技術……」

 青龍は胸騒ぎを感じている。

「30年前に亡くなった、夫……?」

 青龍は黙り込んだ。

「――――あ」

 口を開いた青龍。

 壁に立てかけられている、黒布に隠された刃。それは持ち主の直感に共鳴し、唸るように衣の内側で輝いていた――。

 

 

 

Act8

 

 夕刻が近づき、赤く染まるカブラの螺旋。町は紅葉した山のようにもえている。

 

 足を踏み入れたそこは廃工場。もう、60年近く前に閉鎖された工場である。

 かつてはブルーメンのカブラ家具と言えば行商人達がこぞってそれを取引した。今では呪いのアンティーク家具などと呼ばれるのであろうか……。

 

 製作途中の家具や破損した家具が並ぶ廃工場。赤日の光が、並ぶ窓から斜めに差し込む。赤黒いコートで全身を覆っている男は、ツバの広いテンガロンハットを押し上げた。

 歩いていく。朱雀は歩を淀めることなく一直線に廃工場を進む。

 彼の脳裏には金色の歯を見せて笑う老婆の顔と声が思い出されていた。

『夫は“これは殺人だ”と申しておりましたわ』

 ここは普通ではない。それはかつてここで人が3人も死んだからであろうか。それの2人は町の誇りであるカブラ家具の下敷きになった。

『第4倉庫、とかいうお部屋でその娘は亡くなったのよ! その後、技術長さんがそこでお亡くなりになって……』

 朱雀は歩を進めた。直進に、ゆっくりと。

“カシャン……!”

 突然の音に振り返ると、錆びた鉄の扉が閉じられている。おかしな話だ。朱雀はそれを開けて入ってきたというのに――。

“カタカタ……”

 音が鳴る。どこからということもなく、工場のどこかからか音がなった。

“カタカタ……”

 音は1つではない。いくつか発信源があるらしい。それこそ、360度全てに。

“カタカタカタカタ……”

 ――もうわかった、理解した。朱雀は完全に墓穴を掘ったと気がつき、「ちっ」と舌を打ってコートの裏に手を突っ込んだ。

“カタカタカタカタカタカタカタカタ”

 コートから取り出したのは二丁の拳銃。

 右は青く、左は黒い。いずれもマグナム、デザートイーグルである。

“ガタガタガタガタガタガタガタガタッッ!!!!!!”

 

        「――――かかってこいよ、アンデット……」

 

 腹を括って両腕を広げる。赤黒いロングコートがはためく。

 震動する成り損ないの家具達。その中でただ1つ、揺れずに在る箪笥。金色馬の装飾が施されたそれの中央部分。何かの汚れで黒ずみ、腐れてしまっている。

 瞳孔が細く尖り、薄っすらと笑みを浮かべる。

 よほど気に喰わないらしい。朱雀は堂々と工場の中央に佇むそれを睨みつけた。

 右腕の拳銃から放つ。弾丸は高速で回転しながら空気の壁を突き破っていく。弾頭から発生した衝撃波は音速を超越した証明。未だ鳴らない銃声は銃口に置き去られている。

 

 鉛の塊が無駄の無い貫通力で突き刺さった。だが、それはカブラの“机”。

 それとほぼ同時。いつ放たれたのか? 2発目の弾丸が虚空を貫き、突き進んでいる。

 2発目の弾丸はカブラの“椅子”を貫き、背もたれを割る。

 

 弾丸が軌道を逸らして宙を去ったあと。重なった銃声が閉ざされた工場に鳴り響いた。

 

 割れた椅子の背もたれが落下する。

 机も椅子も、撃つ前は進路上に存在しなかった。それらは王を守るように動き、代わりに弾丸を受け、そして砕けた……。

 弾丸を防がれた事でさらにイライラが積もる。

 更に2発、4発と鉛玉を左右の銃口から放つも全て他の家具が滑るように移動して受け止めた。

「OK、わかったよ……」

 そう呟いた後に朱雀が右の拳銃を大きく突き出す。

 デザートイーグルの銃口が、先から赤色に染まっていく。それは血の色のそれではなく、絵の具の“赤”のように立派で鮮明な“赤”。

 赤は朱雀の腕も侵食し、右の眼球までがそれに染まった――――――

 

 骨が砕ける音。

 

 複数の椅子が一斉に朱雀の右側面に襲い掛かった。

 吹き飛ばされた朱雀の体は工場の作業機械に打ち付けられ、右の拳銃が手を離れて埃塗れの床を滑走していく。

 朱雀の肘から先は外側に曲がり、皮膚を突き破ったミルク色の骨が顔を出す。

「――っつぁ……」

 痛みで久方ぶりに冷静となり、状況を整理する。

 右腕は見る限りいっちゃってるしコートは埃塗れ。銃は床を楽しくすべり、わき腹には何か(たぶん椅子の足)が刺さっているらしい。

「こりゃ――ハッ、ヤヴァいね」

 先程とは違い、余裕のある笑みを浮かべる朱雀。だが、額は汗でぐっしょりである。

 見上げると大量の机や椅子・箪笥が宙に浮遊している。明らかに、「これから行きます」のポジションである。

「だから言ったんだよなぁ……禁煙なんかアンラッキーしか呼ばねぇって」

 立ち上がろうとしたがそれもできないのでさて、どうするかと思う。

 こういう時はもう、祈るしかないだろうな。と、朱雀は祈りの言葉を呟いた。

「・・・クソッタレ!」

 

 

        『 ガギン――ッ 』

 

 

 巨大な金属同士が瞬時にぶつかったような透き通った音が響いた。

 音の直後に工場の壁の一角が崩れる――いや、切り裂かれた。

 

 青色の髪の侍は着物の裾をなびかせ、割けた壁から一直線に突進している。

 弾丸にそうしたように家具達が反応して進路を妨げるが、銀色の軌跡と共に次々と両断されてしまう。それは椅子だろうが机だろうが本棚だろうが箪笥だろうが……。

 ものの5秒ほどの出来事。

 急ブレーキをかけて立ち止まった侍が刃を返し、振り払った刹那。馬の装飾が施された箪笥は4つほどに分断されて無残にも崩れ落ちた。

 同時に朱雀を囲んでいた家具達も糸が切れたように落下する。

「! すまない、遅れた」

 青龍は横たわっている朱雀を見つけて即座に謝罪した。

「うっせぇ、素直に“無謀してんじゃねぇぞ”くらい言いやがれ!」

 痛みを堪えて精一杯の憎まれ口を叩く。

「――スザ、こいつが見えるか?」

 青龍が切り刻まれた箪笥を指差した。朱雀は「ぼちぼち」と左指でサインを送る。

 刻まれた箪笥の上で立ち尽くす眼鏡の青年。青龍はそれが何なのかも理解したし、はっきりと視界にも捉えている。肩を掴んだ時、平常心ならすぐに気がついたであろうか?

 これはよほどこの世に執着があるのだろうか。恐ろしく霊体としての密度が高い。

 

 眼鏡のそれは無表情のまま立ち尽くした後、すぅっ……と姿をくらました。

 それの後を追って青龍が工場内を進んでいく。

 

 次の部屋を少し進むと“壊れた鍵が落ちている扉”があった。

 それをゆっくり開くと、思念の塊は楽しそうに言葉を発している。

「マリー、聞いてくれよ。またカンスケットさんが僕を疑うんだよ。酷いよね、なんで邪魔をするんだろうね」

 それの手には小包が握られている。中身は予定ではお昼のお弁当だったもの。

「マリー、僕はね、君に酷い事をした物も、人も。全部全部同じにしているんだよ。平等に、平等にね。だって“君だけ”なんて酷いじゃないか。ね、そうでしょ?」

 “感情”というデータをリピートするだけの再生機は先程切り刻まれてしまった。きっと、長くはもたないだろう。

 楽しそうに話すそれを背後から銀色の軌跡が切り裂く。

 楽しそうなそれは幸せそうな笑顔を浮かべながら、最後の最後まで、おしゃべりをやめることはなかった。

 

 亡霊が消えた部屋の壁には、生前に彫ったのか死後に焼きこんだのか。1人の未完成な少女が、幸せそうに微笑んでいる――――。

 

 

 

Act9

 

 自治会長が経営する工場ではカブラ家具が作られている。きっとこれからは原因不明の“事故”に悩まされる事なく、仕事を行えるだろう。

 

 

 60年程前、眼鏡の青年は大好きな彼女を失った。悲しみに明け暮れた彼は毎日のように彼女の死地に通った。

 やがて、そこには死んだあの娘が立っていた。いつものように笑顔で、可愛らしく。

 青年には彼女がなぜ現れたのかわからない。なぜならその彼女は言葉を話せないから。

 青年は日に日に濃くなっていく彼女が何故現れたのかを考え、やがて1つの結論を出す。

 きっと僕を見ているのだと、死んだ彼女のために何をしてあげられるのか、僕を見ているのだ……と。

 だから彼は思う存分、彼女が満足できるように精一杯やった。どちらが憎いのかも解らないから、者にも物にも、同じことをした。

 不幸は誤って母親をやってしまったこと。青年は後悔と戸惑いの中、いつものように彼女の元へと急いだ。

 しかし、そこに彼女はいなかった。ただ、壁に微笑む模様があるだけに過ぎない。

 青年は否定したがそれは無駄なことで、彼はその時に気がついてしまったのだろう。そして青年にはそのことに気がつくという事実が耐えられなかった。

 認めたくないが、信じたくないが。このままだといずれ自分はその現実を受け入れるだろう。それはダメだ、それじゃあ彼女が消えてしまう。

 大好きなんだ、愛している。きっと、ずっとこの町で暮らして、家庭を持って、子供も作って……。幸せに、幸せに暮らすんだ――――――

 

 

 2人が事故死で1人が自殺という結果は、当時こそたいして注目されなかったが、カンスケット治安官は気がついていたのだろう。呪いなどではなく、これは生きている人間の仕業だったと。

 しかし、結果的にやがては「呪い」が現実のものとなってしまった。

 婦人(老婆)が言っていた。

『夫は言ってたわ。“人一人救えなかっただけでも町は衰退してしまう。人一人いればそれは何人もの人に影響を与えてしまうんだよ”……って。今にして思うと何か、後悔していたようにも感じるわね』

 そんな言葉を思い返しながら、朱雀は見晴らしの良い住宅の屋根の上で本を読んでいる。

 それには幻想の物語が書いてあるが、今日から無理をやめたその人は本を黙って閉じた。

 スパスパとヤニの煙を吐き出しながら、「つまんね」と一言ぼやく。何か携帯が鳴っているが、しばらくは右腕が使えないので取り辛い。だから、放っておくことにした。

 

 見晴らす景色は下っていく混雑した町並み。「積み木の町」には今日も人が少ない。青龍は「あの人がいればなんとかなる」などと夢物語みたいなことを言っていた。

「――ま、人間生きてりゃ影響ぐらい与えるし、受けるでしょうよ」

 と、煙を深く吐き出した。禁煙をやめても腕とわき腹が痛むので若干イラつくらしい。

 当たり前のことだとせせら笑うその男。

 その横で寝ている青い髪の侍は聞いているのかいないのか。反応はしない。

 

 

 傍らに置かれたツバの広いテンガロンハット。黒色の細長い物が風で飛ばないように、それをしっかりと押さえている――――――。

 

 

                       積み木の町: End