動景 0、「 半裸 」

 

 環境の変化によってその地を追われる種族がある。例えば蝉の一種は乾燥に弱く、ヒートアイランド現象によって温暖化が進む都心では生き難い(これは仮説ではあるが)。よって、ここら一帯ではミンミンと鳴く輩共に夏の主役を取って代わられているわけだ。

 

 大木とは言えぬまでも、都会で見れば「こんなところに立派なものだな」と感心できる木が、ビルの温い隙間風に揺れている。そこに在る油蝉は仲間を探すかのように、またはその生命を示すかのように、大声を張っている。

 蝉の声が響き渡る庭に、揺れるブランコ。

 ブランコの在る庭は両脇に聳える巨大な“ビルディング”の影で覆われている。

 生温くも、家屋前の大通りよりは幾分もマシな庭のブランコで、少女は電気代を節約していた。

 部屋にいればクーラーをつけねばやり過ごせず、かといってこうして外で過ごせるのは今時分くらいのもの。だからこそ、ピンク色のTシャツを着た彼女は、こうしてブランコに揺られながらもポータブルゲームに興じているのである。

 画面には、大剣を振り回してゴリラを狩る彼女の写し身が映っている。

 通信相手の弓使いは今頃、窓を開け放した部屋で布団に寝そべっているであろう。夏場に着物は厳しく、しかし質素に。侍は下着一枚で夏を凌ぐ。

 

 築23年の中古の家屋は都会に場違い。

 “クーラー代節約指令”を出された家屋の一階で、虎は扇風機の風を一身に受けている。

 必死に首を動かそうとする扇風機の顔を押さえ、独占するその男。大して物事を深くは考えない彼が、扇風機の後ろにあるツマミの意味を考えるわけもなく、扇風機の「気付いてくれ!」という悲痛な叫びもまた、ガサツな男の耳には入らない。

「あの、すみません……」

 何度目かの呼びかけで、ようやく振り向くガサツな短髪の男。

 開けっぱなしの玄関(勝手口)に立つのは、白いワンピースの女性。

「突然押しかけて申し訳ありません。あの、ここに麒麟という方……」

 玄関で立ち尽くし、言葉を忘れる白いワンピースの女性。その人に気がつき立ち上がった無神経な拳法家。

 

 侍と同じく、ガサツな彼もまた、夏を下着一枚で凌ぐスタイルである――――――――。

 

 

 

                                      

Å                                      Å

     羅

       神

    信

      仰

 

 

―  タ ツ ラ ガ ミ シ ン コ ウ ―

 

 

 

本章、神の節 『 辰羅神進行戦 』

 

 

 

 

                                      

Å                                      Å

動景 1、「 油蝉 」

 

 ――東京――今や多アジア人都市となりつつあるこの街に。世界の極々一部にだけ評判の小組織が住み着いている。

 彼らはまだ若くとも、類稀なスキルを持ち、そして多くの事を成してきた。・・・同時に多くの問題も残してきたのだが、そのことで彼らを責めても仕方が無いし、無駄なことである。

 この若きワケ有り家業屋集団。名を、『四聖獣』という。

 

 

 さてさて、東京都の某所に拠点を構える「四聖獣」。このステキなネーミングをしやがった者は今でこそ遠く。後を次いだ娘っ子が今日もいそいそと。客人を持て成すため飲み物の1つでも、と冷蔵庫の扉を開いた。

 中には使いまわしのガラス容器に麦茶。隣にペットボトルの炭酸飲料。

「いろいろと、ゴメンなさい。あの、麦茶もまだ冷えてないので……」

 急な来客に慌てつつも、物腰たおやかにテーブルにコップを置く。

 コップに揺れるレモン色の飲料が“しゅわしゅわ”と音をたてた。

 来客に答えてリモコン操作された空調機が「ようやっと!」などと張り切り、唸りを上げている。

 

 応接間――と呼ぶには些か庶民的過ぎる居間。向かい合わせにソファが置かれているものの、引っかき傷やら菓子の食べカスが目に付く。狭間のテーブルから人形やら空き袋やらを隠すように除ける。

 小皿に入れたピーナッツを置いて。ようやく落ち着き、清楚な客人の対面に腰を降ろす少女。

 この少女は『奈由美』、組織的には『黄龍』と申す者。

 まだまだあどけないが、中々どうして。かつては物足りなかった身体もそれなりに成長してきている様子。スーツを着る間もなく、ピンクのTシャツに短パンという残念なビジネススタイルなのは御容赦を……。

「どうぞ、飲んじゃってください。アト、お菓子も」

 手の平を上にコップと小皿を示す。

 客人の女性は「ご親切に有り難う御座います」などと微笑みつつも、“きょとん”と一点を見つめた。

「大したものも出せませんが――あ、私は“黄龍”です。一応、この“四聖獣”でリーダーを勤めてます」

 形になってきた対応。だが、後頭部を掻く癖は直したほうが良いだろう。

「はい。よろしくお願いします、黄龍さん」

 奈由美に応じる客人の女性。白く、飾りの少ないワンピースに長い黒髪が大人しく、落ち着いた印象を与える。顔つきは至極可憐かつ穏やか。あからさまな高貴さが伝わる。

「私は天上 輝歌(てんじょう てるか)と申します。突然お訪ねしてしまったご迷惑をどうか、お許し下さい」

 和やかに微笑み。当たり前に、“そうであるべき”といった程に姿勢が正しい。白い指を伸ばしてそっと太ももに置かれた手。背筋は適度に張り、顎は若干に引いてある。今、いきなりにシャッターを落としても立派なブロマイドが出来上がることであろう。

 テーブルの端に置かれた麦わら帽子。それのリボンは青空の高きがごとく水色。

 日傘は玄関の傘立てに差してある。それが汚れないよう、格が違いすぎるおんぼろ共は取り除いた。

「まだお若いのに。名のある組織のリーダーをなさっているなんて、尊敬に値します」

 輝歌と名乗った女性の勿体なさ過ぎる言葉。

「あ、いやぁ、えはは。バカばっかりだし、私も全然だし、ほんと、そうでもないですよ!」

 などとはにかむ奈由美。正にその通りだが、もう少し落ち着くべきである。

 ちらと見る対面の清楚な女性。輝歌の出で立ち、雰囲気はなんとも落ち着く。思わず「ほぅ」と憧れの溜息が漏れる。

「しかし、私は“麒麟”という方がリーダーだと伝え聞いたのですが。麒麟さんはどうなされたのですか」

「ぇ……あ、それは――」

 初めてのことではない。しかし、やはり。どうしても言葉が詰まる。

「――あの、私の情報が間違っていたのなら、申し訳ありません」

「! いえ、いや、その――兄は――麒麟は今、少し遠くに行っていまして……それで私が代理としてリーダーを務めております。だから天上さんの情報は正しいですよ」

 ぎこちない笑顔で答える奈由美。その態度を見て何か訳有りと見通す輝歌。

「そうですか。麒麟さんのご兄妹、なんですね」

「あ、はい――や、あの! ですが、麒麟はいなくても依頼の方は受けられますので。元々大して何かしていた人ではなかったので、平気です!」

「――――」

 あどけない笑顔で後頭部を掻いている少女。その健気にも懸命な姿に心打たれ、輝歌の瞳は潤む。

「どうか、お気になさらず。私、あなたを信頼してご依頼を申し上げますわ」

「――あ、はい! お任せ下さい、天上さん」

 穏やかな言葉に、明るい表情で元気に返す。

 2人の視線が一時、重なった。何か、言い知れぬ親近感。

「……私、親友からは“輝(テル)”と呼ばれております。黄龍さんもどうか、そう呼んでください」

「あ、はい。それじゃぁ、あの――私のことは“ナユ”でお願いします。黄龍はやっぱり慣れなくて」

 勘というものが働いたのか、それともよほど波長が合ったのか。2人はほぼ同時に「ああ、この人同い年かも」と正しい予想を思い浮かべた。

 

「でへへ」とはにかむ奈由美。「うふふ」と微笑む輝歌。

 少女2人が向かい合う、実に華々しきその場。背後では、“ジージー”という油蝉の声が古い木造家屋に響いている――――内側から。

「おい、奈由美! 腹が減った。飯だ、飯!! たくさんよこせ!!!」

 奈由美の背後から発せられる不必要な怒鳴り声。音源は黒短髪の少年である。

 輝歌が思わず「キャッ」と目を覆った恰好は止めさせられ、今は白いタンクトップを着せられている背が低い少年。

 声が無駄なほどにデカイこの少年の名は『白虎』。

「あ〜、も〜! それなら龍ちゃんに・・・」

 やれやれ、と振り向いた奈由美。対面の輝歌は一点を興味深く見つめている。

 先程まで扇風機を捕らえて大人しくしていたはずのその男。いつのまに動いたのかは知らないが、とりあえず庭に出たことは解った。

 その手にもがく残り1週間の命は逃れようとしてか、“ジー!ジー!”と懸命に喚いている。

「・・・何?」

 色々な意味を混ぜた結果、この一言だけが奈由美の口から出た。

「これか!? これは蝉!! だから腹が減った!!!」

 見せつけるように掲げる白虎。手にした勲章を自慢したいのもあるが、それよりも何か食べたいらしい。恐らく「蝉を捕っていたら腹が減った」のだろう。それだけは伝わる。

「わぁ、こんなに間近で見るのは初めてです。図鑑の絵よりもリアルですね」

「・・・よし、わかった。まずはそれを放してきなさい。ご飯はそれからよ」

 何か輝歌に突っ込みどころがあった気がしたが、それよりあまり好きではない夏の風物詩の排除が優先された。

 白虎は「蝉<飯」の精神に基づき、言われたとおりに放した・・・・・・室内で。

 

 解放された小さな命は飛び立った。しかし、巨人に掴まれた疲労は大きく、とりあえず手ごろな場所への不時着を余儀なくされる。

 “金色のふさふさしたそこ”は木の幹と違い、落ち着かないが仕方が無い。

 

“ジー、ジー、ジー、ジー、ジー......”

 それが人なら神に感謝の意でも捧げている様なのであろうか。怒りの感情があるかも知れぬ彼は鳴き声を上げた。

 耳元で喚く声。それが作り物の髪飾りならば子供らしくて「愛らしい」などと許せるかもしれない。

 だが、リアルは相応にしてグロイ。特に多足の生き物が嫌いな彼女にとっては絶望的にエグイ代物。

 

“―――伊ぎゃぁあぁあああああああああああああ!!!!!!!???”

 

 声ではなく音のような絶叫。輝歌にとっては人のこういった声も初めてである。清楚ではない友人だからこそ成せる技か。

 触りたくはないが、反射的に手が上がった。払われた蝉は驚き、再びフライトする。

 ……人の赤子もそうであるが、彼も地上に出てまだ1日。ある意味赤子と言ってもよいであろう。その地上での生涯は7日。ならば、通して赤子とも言える彼らが粗相をしてしまうこともいたしかたがない――などと言えるのは第三者。引っ掛けられた当人にそんな余裕は無い。

「ああー! 奈由美、しょんべんくらってやんの! 汚ったねぇ!!!

 少女を指差して爆笑する白虎。

 眉間にシワを寄せ、愛らしい顔に怒りを表す奈由美。頬を汚水が伝う。

 

 少女の咆哮と虎の笑い声に、蝉の唄が混ざる。

 

 唄っていた蝉は轟音と共に開かれた穴を見て、「よし!」とばかりに飛び出した。

 

 

 その騒がしくも目新しい状況に“ぽけ〜”と呆ける輝歌。

 よくは解からない。解からないのだが、「楽しい」のだろう。

 彼女はつられて微笑んだ――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―― 景 間 ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動景 2、「 赤球 」

 

 全てが済んだ後。村に、島に劫火が盛った。

 何もかもが灰になってゆく。

 その異様な明かりは、本土からも確認されたが、島の特性上、ニュースになることすらなかった。

「大火事でも起きて滅びたのなら、それも良し」

 そのくらいの見解で古祝儀 意次(こしゅうぎ おきつぐ)は済ませ、特に報告もせずに楽観視した。

 

 3日が経ち。各所での異変は伝えられていた。

 しかし、時は記憶を失わせ、記録を霞ませる。

 各館の監視者はそれが“甦り”を意味すると報せたが、“照らス”は「そうか」と軽く流した。古祝儀も以前の情報と合わせれば何か感づくべきであったのだが……。

 何よりも神が脱皮をしている最中である。その警護が重要。そう思ったのだろう。意識もそれで手一杯だったのかもしれない。元から、その役は彼の器から零れている。

 

 古祝儀が異変に「危険の疑惑」を感じ、F15ホークに偵察及び威嚇を命じた後。国家の主力戦闘機が謎の撃墜を遂げたことで彼の額は汗を滲ませた。

 

 同日。問題となっている“山梨上空の赤い球体”の正体予想を聞いた古祝儀の顔面は蒼白し、強い尿意に危うさを感じる程彼は焦燥した……。

 

 

 

 

 ――――眼下に広がる世界がもの珍しく、質素な赤い着物は胡坐のまま、その写し身を下地へと赴かせた。

 それと同時。地底を飛び、水中を奔る黄土色の狐の仮面。別路を行っていた紫の狐はすでに祠へと到着した。

 金は落ち着き無く眼下を眺め、緑は腕を組んで背を武力に預けている。

 

 地上を行く写し身。その瞳だけは、かつてのように大人しい――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―― 景 間 ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動景 3、「 依頼 」

 

 キッチンとソファの間。何とかセットされている6人掛けの食卓。

 いつものように5人での食事となるが、今日は1人面子が異なる。いつもの煙草臭くて赤茶の不行儀な青年は居らず、代わりに清楚かつ大人しくて高貴な少女が丁寧に座っている。

 “ガツガツ”と“カチャカチャ”と音を鳴らしてフレンチを食べる白虎。

 その隣に座るのは異常なまでに美しい人。金色の長い髪は艶やかで、「この暑いのに・・・」という疑問すら掻き消すほどよく似合う白衣。街中で歩けば、盛りの男なら1000人に999人は振り向くのではないか、というその美貌。

 こいつの名は『玄武』。四聖獣で唯一20才を越えた彼は丁寧な作法で“ボトボト”とスープを溢しまくっている。

「・・・玄ちゃん、袖を捲くりなさい」

 テーブルのことはもう諦めているので、せめて白衣の心配をする奈由美。「YES、ぶラジャーw」と答えて袖を捲くった彼だが、持ったままのスプーンからコーンスープが垂れ落ちていることに気が付かない。

「海老うんめぇぇぇぇぇ! もっとくれ! 全部!!!

 白虎は空の皿を台所に立つ青い髪のシェフに突きつけた。

「・・・・・・ぁぅ」

 あんまりにもあんまりな食事風景に、隣の清楚なワンピースの人を横目に見る奈由美。

「驚きです! この料理、とぉ〜〜っても、美味しいです! どこのレストランでシェフをなさっていられるのですか?」

 奈由美の視界にある輝歌は対岸の惨状など気にならないほどとても満足している様子で、デザートの盛り付けをしている青いシェフの方を向いている。

 割烹着の男は「いや、プロの料理人ではない、、、」と少し頬を染めつつ、背中越しに答えた。その面は整っているのだろうが、非常に目つきが悪く、率直に言えば「怖い」。

 この強面、あまりにも意外だが四聖獣の中で一番年下。奈由美より3ヶ月程遅い産まれのくせに威圧感満載なこの少年。名を、『青龍』という。

 

 賑やかな食卓に咲く麗しき一輪。なんとか彼女への無礼にはなっていないようなので一安心する奈由美。この場にバカ鳥がいなくてホント良かった、などと思って溜息をついた。

 

 

 食事が終わり、各々思い思いに動く。

 奈由美と輝歌は居間に残り、後回しになってしまった依頼の話を。青龍は食器の片付けをしながら奈由美と共に依頼を聞く。玄武も居間にいるが、自作のノートパソコンに二足歩行をさせようと目論み、弄っている。

 白虎は眠かったので、玄武の隣で寝転がった。・・・結局、全員居間に残っている。

 

 蝉の鳴き声が室外から聴こえてくる。

 冷房の効いた室内で、輝歌は希望する依頼の内容を――――話した↓

 

【@輝歌の依頼 まとめ

・自分には定められた婚約者がいる↓

・でも、その人の顔も名前も知らない↓

・彼のことを探ることは禁止されているし、教えてもくれない↓

・今までそれが「しきたり」と思って抑えてきたが、やっぱり気になる↓

・そんな時に偶然、彼が住んでいるという島の情報を入手↓

・ただ、その島は上空・周囲の海域を監視されている不可侵の地域らしい↓

・とても行ける算段は無いし、危険だということも解かる↓

・それでも。会わなくていい、会話も無くていい。ただ、一目みるだけでも――↓

・だから監視を欺き、むかし友人に聞いた四聖獣と麒麟の情報を頼りに逃亡↓

・初めての1人旅にワクワクするが、追っ手が不安。見つかったら連れ戻される……↓

・でも、案外大丈夫だった。 そして無事到着 ←今ここ】

 

【――――指示通り、11行で約15分に渡る内容を要約しました】

 と、ノートパソコン内の彼は伝えた。しかし彼の仕事は鼻水も拭かず、全力で逆関節の脚部を組み立てている玄武には届いていない。

「玄ちゃん、ちょっと! 解かったの?」

「――(ガチャガチャ)」

 一心不乱な青年はようやく形になった機械の右足を満足気に眺めた。

「げぇ〜ん〜ちゃぁ〜ん?」

「!!? たおばぁっ!?

 左右にハネている癖毛を引っ張り上げられ、謎声が発せられる。玄武は疑問符を浮かべて振り向いた。

 振り向いた先の奈由美に猛抗議を始める玄武。彼がもう一度謎声を発した後、電子空間の弟は再び依頼の概要を伝えた。

 

☆5分経過☆

「そーゆうことなら、玄ちゃんにお任せっ!」

 玄武は親指を立てて彼女らに満面の笑みを見せた。

「・・・・・・」

「親指を――こぅ、上に……?」

 疲労した奈由美の横に立つ輝歌は、玄武のポーズの意味が解からないのでとりあえずマネをしている。

「つまり、その島に海からでも空からでもなく、どうにかして行ければいいんだよね!」

「そうだけど、できる?」

「お任せといっているサル!」

 玄武は言葉と同時に改造途中のノートパソコンの画面に腕を突っ込んだ。

 「ぎょっ」と目を開いて戸惑う輝歌だが、奈由美にとってはいつもの事なので驚きはない。

「えっと――、あれぇ? マイク、アレどこ?」

 【どうぞ】と欲っした物が架空の空間で手渡される。

「よっしゃ、フィィィィッッシュ!!」

 玄武が勢い良く画面から取り出したのは「スイッチ」。それは何に使うか解からない、シンプルなスイッチ。

“空間押し込みボタン〜”

 ややゆっくり気味に、しゃがれ声で玄武がスイッチの名前を紹介する。

「なぁに、ソレ?」

 丸メガネを掛けた奈由美が問いかける。

 輝歌はきょとんとした表情でそのやりとりを眺めた。

「これはねぇ――この赤いボタンを押すことで事前に指定したA点へと、押した人物、及びそれに接している人物、物を移動させる装置だよ。そうだな、イメージしやすく言えば“空間転移”なんてものかな。実際は現在地点もB点として指定しておき、一時的にそこを“空位”としてA点に押し込むというもの。だが、これは“場所の押し込み”に当る現象を人為的に、作為のまま発生させている。つまり、A点とB点の質は異なる。 例えよう、A点は粘土だ。買ったばかりの真っ更な油粘土。それに別に買った同種の油粘土から一部もぎ取り、押し込む。押し込まれた別の粘土は更の粘土に混ざり、同化する――。ただ、このまま同化してしまってはもとの“領分”が拡大し、あらゆるもの、それこそ全体に矛盾が生じてしまう=無理なこと。それを防ぎ、尚且つ分離=帰還を成す為にB点を空位とし、それを枠として残す。これにより、押し込んだ空間は形を変更できない。……B点が健在である限りはな。 よって、転移後に注意することは“AB点の設定を変更しないこと”これのみ。つまり私とマイクが管理している限り問題は皆無ということだ。 後は、そうだな――1度の移動で電池を1本消費する。2本入っているので問題は無い。が、1本の値段は3千万だ。気軽に何度も移動できると思わないでくれ

 流れるように、風のように吹き抜けた玄武の爽やかで、聴き心地の良い声はそれを聞く3人の耳を撫でて過ぎた。

 彼らは声を揃えて「へぇ〜」と、微笑しながら玄武の歌に溜息を漏らした。

「だからねぇ〜これを押せば一瞬でその島さ! もう準備はできてるよっ!」

 玄武は再び親指を立てながらそのよく解からんスイッチを黄龍に渡す。

 黄龍と輝歌、そして青龍は親指を立てて、「まぁ、何でもいいや」と心の声を揃えた。

「――とにかく、これを押せばいいのね。それじゃ……」

「待て」

 ボタンを押そうとした奈由美を制する青龍。

 彼はそのスイッチを取り上げると、先程聞いた輝歌の説明にあった疑問を顕にした。

「何故、その島は“不可侵”なんだ?」

「……なんでだろ」

「わかりませんわ」

 『侵入してはいけません』という警告は、通常「危険」だからもしくは「秘密」だからこそ発せられる。今回の場合、さらに周囲を警戒するという異常な厳重さ。そこまでして金を掛けて封じる理由は――――たとえ「危険」としても何らかの「秘密」の類であろう。

「マイク」

【はい、青龍様。すでに検索してあります。情報元は宮内庁、及び防衛省、照蛇会】

「「!?」」

【検索結果:辰根島=鳥取県沖にある孤島。住民は無いとする資料と有るとする資料が混在。衛星映像は妨害により解析不可。追加検索――“少々お待ち下さい”】

 何か秘密があるとは思っていた青龍も、予想以上の規模に驚きを隠せない。何より、尋ねれば瞬時に「各国統率者の朝食メニュー」を検索・リストアップできる彼が“少々お待ち下さい”などと言ったことが件の情報守護を物語る。

【――追加情報:辰根島=辰羅鬼を封じた、との文献が存在。詳細記録は人の脳にのみある可能性大】

 益々怪しい。“鬼を封じた”などと公式の文献にあることは問題無い。だが、その情報がこれほどまで厳重に保護されている理由が解からない。御伽噺、神話の類にしては重々しい。

 青龍としては情報源にある「照蛇会」にも心当たりがあり、またその正体も大まかに理解しているので尚不信が募る。

「て、輝さん……あなた、そんな場所でお嫁さんになるの?」

「はい。そう聞いておりますが」

 奈由美と青龍の表情は固まっているが、輝歌は飄々としている。情報源を聞いても身近すぎて規模が解からず、情報守護の厳重さも上手く伝わっていない。

「――1度、俺が様子を見に行く。本来は俺のやる事じゃないが、仕方が無い」

 そう言って2階の自室へと向かう青龍。その目的は割烹着を着替えることと、己の信念である刃を携えることにある。

「あれ、私も一緒に行きたいのですが……」

「輝さん。ちょっと待っていて。彼が戻ってきたらあなたを連れて行ける――かも知れないから」

「・・・? ですが、いいのですか?」

「いいんですよ。これくらいいつものことですから――龍ちゃん、気をつけてね!」

 青龍に手を振る奈由美。輝歌は「・・・いつものことなの?」と、自分が今いるボロ屋を見渡した。

 

 

 

 

 

― 裏編 始 ―

 

 ボロ屋の2階。自室で着替える青龍。

 黒い布に包んだ信念をしっかと携え、ふと机を見る。

 

 机には、飯の前に行っていたソリティアの跡。トランプが残っている。

 まったくもって解決できていないその難題を眺めて、行く先に不安を想う。

 

 

――――違う。それ以前。この部屋。

 

開け放たれた窓に揺れるカーテン。

蝉の声が遮られることなく入るはずのその口。

 

塞いだのは雪の如く、正に“白紙”の侍が独り。

折り紙で蝉を作り、「みんみん」と口ずさむ。

 

常時瞑ったままの“視線”を首と共に青い背中に向ける侍。

 

「龍よ。この蝉、鳴かないンだけど……欲しいか?」

 

その問い。

振り向かず、柄に手を置き答える青龍。

その表情、一言で表すならば――――“激昂の龍”。

 

―― 裏編 断 ――

 


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