動景 4、 「 分神 」
空に浮かぶはゴージャス。その狐は仮面も金なら着物も錦の金×金×金!
荘厳・美麗にしてよくよく目立つ井出達にて出迎えの任を賜りし、金の狐!
「よいか、落として“良い”のは仕掛けた者のみ。罪無き、弱き命を無碍にはするな」
「何度もそう、おっしゃられるでない、耳に来おる。 私を信じぬか、主神様よ」
“辰”の文字に切り抜いた扇子で仮面を冷やす金の狐。扇ぐたびに銀粉が下賎の地へと振り落ちる。山で茸を採っていた夫婦はもろにこの純銀の粉を被った。喜ぶかと思いきや2人は「この季節に花粉がこんな……」などと苦々しく取り払っている。
山梨の山中。昆虫が盛る夏の山林は騒がしくとも、人はそれに文句を言うものではない。
人が祭りを行って文句を叩き付けてくる昆虫などあるまい。お互い様であろう。倉島のじいさんもこの季節になるとそう言う。
「ま〜た茸採りくさりおっテ!」
行楽のシーズンでもある今。山道に捨てられた空き缶をビニール袋に入れながら、倉島のじいさんは無断に茸を採っている夫婦を遠目に睨んだ。
倉島のじいさんを怒らせるのは何も茸の夫婦だけではない。ゴミを捨てる若者や子供をしっかりと見守らない親もそう。ついでに、昨日の夕刻頃から山の上空に浮いている赤い球体もいけない。
「かってにぷかぷかぷかぷか飛ばしおってのぅ。あんま勝手してっとぉ、山神様が雷落としよるぞ。ほんに、身勝手ばかりじゃ!」
怒り心頭の老人が見上げた遥か空の赤い球。
赤い球を足蹴にしている金の狐。狐の眼界には雲海が広がっている。
無礼にもとんでもないものの上に立っている狐さん。足下の神が雷でも落としそうなものだが、その罰則は彼の所業故、他の神に頼らねばなるまい。
「くれぐれも、くれぐれもぞ」
赤い球体内の神は己の分神を強く諭した。
「――――」
金の狐は周囲を1週ぐるりと確認して、「フ」と笑う。
かつては鳥しか居なかった空も、今は人が入り込んでいる。
「侵攻ではないか? そこは領分ではなかろう。なぁ、人よ」
遥か彼方を飛ぶ3つの影。彼らは編隊を崩し、3方向に分かれた。遠目に理解したことは、それが今朝方撃ち落した物と同じだということ。
「曰く、F15ホークとやらは他国の品らしいな。いよいよ愚かな。やはり、我等が統治せねばこの程度。裏神は神ならずよ――――」
金色の狐が全身に炎を沸き立たせ、雷を左右の腕に迸らせる。
空が歪むほどの圧縮。周囲を無にし、真の空と化した分を集めた風が暴虐の限りの速度を金狐に与えた。
音に速度があること、音の速度を超えること。その発想が無かったその昔にも、己はただ動くだけでも鳥を落とし、山を抉り、通りを巻き上げる。そんなことは知っていた。だが、その破壊が己にも向いていることは「おそらく」とは思いつつも認知はしていない。
何故なら、音の先に生じる衝撃波の“斬撃”と言うには激しすぎる破壊の波は、金の狐を傷つけたことが無いからである。
切り裂かれた空が発する音――。
“ 秒 ”
『未確認球体が何かを発射した! ミサイル? 戦闘機!? いや――これは・・・??』
目視はできない。ただ、レーダーに映る点を見て「ミサイル」かと。
影だけ見える。遥かな距離故に有った認識から「戦闘機」かと。
姿が見えた。亜音速の飛行の最中、併走するそれを見て「ああ、人」なんだ、と。
“ 豪 ”
と、盛る火炎。瞬時に国家主力戦闘機を鉄塊に変えた熱量の凄まじさは、その場、その瞬間に太陽が在ったとも思う力量。
熱鉄の隕石として山中に落下していく姿に、その仲間は『やられた、撃墜された!』などと身内の者共に伝えた。それは共に空を駆っているもう1機にもそうなのだが、それは通信と同時のこと――。
“ 毘 ”
なる音が天を微震させ、刹那に現れた黄金の輝きを放つ電力の線は鋼鉄の鳥を貫き、虚空に散った。鳥もまた、爆炎と共に虚空を散る。
残りの一羽が、黄金の粉を撒いて宙を迂回する人の姿にミサイルを叩き込む。だが、狙いを人に向けるなど想定していないミサイルは、共にまともな軌道を描けはしなかった。
よって片方のそれが、無防備にも宙に止まった金の狐に命中したのは偶然以外の何ものでもない。
爆発の衝撃で吹き飛ぶ狐だが、一定距離を飛ばされた後に停止し、「およよ」と体のバランスを戻した。
「ほう、小さきと思いきや、間近で見れば大きなものであったな。しかし、現代は不思議よのう……」
再びの暴力的な速度を得て、遥か上空のさらに天を登る金の狐。
下等な鋼鉄の鳥は雀とは異なる。人が作ったそれは、数十億という金をつぎ込んだ代物
――だが、所詮金銭などは人の価値観。神とその眷族には無価値。
例えその値段と技術の素晴らしさを知っても、金の狐は躊躇わず粉砕するであろう。無論、そこにある人の命は「無いと何が違うのか」とすら思わない。
昇る昇る、空の外へ。出でた漆黒の天は永久に深く、寒きこと限り無し。
黄金の袖を廻し振り、銀の粉を放出燃焼し、体を回転させて大気の壁を破り入る。
無限なる黒天から星の中へと突破突入した金の狐。音速を超えて逃亡を開始した鳥に迫るそれは、雷と炎が合わさりし流星。
天外から降る勢いも乗り、音の7倍を得た速度にとっては鋼鉄も霞に等しい。よって、最後に残った哀れな鋼鉄鳥は天の中で“消滅”することと相成ったわけである。
・・・急減速をするものの、久方ゆえ加減が利いていなかったらしい。地面に時速470km超で衝突した狐は山肌の一部を凹ませ、周囲の木々を薙ぎ倒した。
もうもうと立ち込める砂の煙。そこで身を起こした金の狐は一切の汚れが無い着物のズレを少し正し
「かつて、花火は空に撃つものであったが……ム! おお、そうか。あれは“みさいる”というのか。そうか、そうか」
と、頷いた。ハタハタと揺れる扇から銀の粉が周囲に舞う。
風圧で倒れ。ようやっと起き上がった倉島のじいさんは、その狐を視線に捉えた。
荘厳な出で立ちの狐の仮面。その異様な姿に畏れ、同時に納得もした。
「ほれ、見たことか! 山神様の使いがおいでなすったぞ!」
倉島のじいさんは膝を着き、手を合わせて山に祈りを捧げている。
爺さんの視線の先。
さあ、赤い球に戻ろうかと蚊退治を終えた金の狐が飛び立った。同時に、金の狐に指示が入る。
ものはついで。道に迷った黄土色に代わり。金の狐は目的の在る都へと向かった。今度こそ程度を押さえねば、と自重しながら。
―― 景 間 ――
動景 5、「 友達 」
あれほど降り注いでいた日光はどこへやら。
繁華街は煌びやかな光に包まれ、これこそ地上の夜空と言えよう。
……できることなら。このボロ家屋は仕方ないとして、その周囲くらいは美しく彩っておきたいところだが。誠に遺憾ながら、無理。
周囲に店舗は少なく、左右を挟むビルはビジネスビルなのでこの時間は明かりが少ない。この小屋の如き家屋がボソボソと光を灯しているが、昼間に開いた穴のせいで光があらぬところから漏れ、みすぼらしさが一層に増している。
マンションも周囲に少なく、裏手のアパートは2部屋しか埋まっていない。コンビニは2軒あるが丁度その間なため、どちらも遠い。だから光は届かないし買いに行くにも手間。
ほの暗い、侘しい住宅。どうにか道路対岸のペットショップが明るい――あ、シャッターが今閉まりました。
夜も深まり、夕食も終えて皿を洗う少女2人。清楚な女性と元気な娘。
清楚な方である“輝歌”は当然、家に帰れない。ホテルに入ってもいいのだが、それだとメンバーの2人が不在な現状では危険。何より、「護衛を得意とする侍」と「女なら全力で守る銃士」が欠けているのが痛い・・・後者はある意味良かったが。
白虎・玄武・奈由美の3人で輝歌を守るには、戦力云々以前に隙が多すぎる――そんなことを考えて提案したのは彼らではなく『マイク』であった。電子の空間から出られない彼に言われて、初めて奈由美と輝歌はインターネットの「おすすめ宿泊施設紹介♪」のページを閉じた。
よって、輝歌はこのボロ家屋に泊まる必要があるのだが、ここには客室が無い。正確にはかつてあったのだが、今は仮倉庫として機械の残骸が納まっている。
だからといって壁に穴が開いている居間で眠らせるわけにもいかず。とりあえずどこでも眠れるし、そもそも部屋の意味が無い“白虎”の部屋を使わせることにした。
その白虎はというと、さっそく居間で鼾をかいている。ソファを1つ占領しており、客人に貸す気は皆無らしい。
「あの、大丈夫ですよ。輝さんはお客さんですからゆっくりしててください」
申し訳無さそうに奈由美は皿を洗う。実際、客人である輝歌はこんなことをせずに与えられた部屋でくつろぐなり、居間のもう1つのソファに座るなりするべきである。
だが輝歌は「こうして依頼を受けていただいているのですから」と明るい様子で食器を棚に置いている。実は皿には細かい配置が決まっているのだが、それは青龍の拘りなので、彼女らは「知らず、関せず、容赦せず!」とズカズカ皿を重ねていく。
粗方片し終えると時刻は午後9時。奈由美はミッション(トイレ)に入った。
一方の輝歌はソファに座る。対面で寝転がる白虎のイビキは止んでいる。それは彼の疲労が無くなった証拠。
黒い短髪は遠目にも剛毛だと解る。何が気にくわないのか、折角奈由美が履かせた短パンは脱ぎ捨てられたので、トランクスが晒されている。上のタンクトップを脱がないのは救いか。
面倒な人がいないせいか、夕食時に散々暴れたその青年の顔。それも、寝静まった状態ではさすがに穏やかなものである。
「ワぁ――」
感嘆と興味から溢れた輝歌の溜息。
投げ出されている足の脹脛は、力を抜いているこの時も立派な逆三角型を保っている。
タンクトップからチラ見える胸の筋肉は、服に深い陰影を付けるほど逞しい。
腕は丸太のごとくとはいかないが、手先から首元にかけて、関節を区切りにしてしっかりと太い。強靭な足腰はどっしりとしており、地を掴む足はやや大きめである。
初めて目の当たりにする親族男性以外の肉体。この家を訪ねた時の光景が思い浮かぶ。
テーブルに身を乗り出し、白く、細い指をそっと伸ばしてみる。
触れた白虎の上腕筋は見た目よりも硬い。だが、彼の体温が高いのか。予想よりも温かいようだ。
【ピポパポ〜ン】
謎のアナウンス音。輝歌は身を竦めて固まった。5秒ほど停止してから、彼女は乗りだした身を引いて丁寧な姿勢に戻る。と、同じくらいに。トイレから奈由美が出現した。とてもさっぱりとした表情で「どっこいせ」と輝歌の隣に腰掛ける。
輝歌は少し逸ったままの鼓動に戸惑っている。
「ねぇ、輝さん」
「は、はひ?」
丁寧な人から発せられた突拍子が無い声。奈由美は「クスクス」と小笑いした。
隣で楽しげな少女を眺めて、輝歌も嬉しくなって、ついつい微笑む。
「輝さん。お風呂がやっと沸いたので、最初にどうぞ」
奈由美が階段奥に在る明かりを指差す。
今日は途中からクーラーが使えなくなったので皆汗をかなりかいた。洗濯係の青い人もいないので、洗濯物は溜まったまま。奈由美が「明日でいっか!」などと思わなければ、翌日の青い人は家事に目を回さずに済んだというのに・・・・・・。
壁に空いた穴から風が入るとはいえ、それでもやっぱり暑かった。夜は庭から吹く風でそこそこ涼しいのが救いだが。
「バスタオルは名札を付けた籠がありますから、それに入っているものをお使いください。あと、石鹸と歯磨きセットもそこに入ってますので。保湿剤とかクリームは、その……私もあんまり良いの持ってないからアレなものですけど。シャンプーとかで髪が痛んだら、申し訳ないです……」
「あらあら、そんな気を使わないで下さい。用意していただいたこと、それがもう大変にありがたいことですから」
優しく感謝を伝えて、腰を曲げる輝歌。奈由美は「いえいえ、そんなそんな」と、わたわたしている。
その姿、可愛いらしいのだが……輝歌は少し寂しそうに口を閉じた。
「そ、それと着替えですが――」
「あの、ナユさん」
「――え、は、はい!」
“凛”と見つめる瞳。穏やかな手で抱くようなその瞳に、奈由美の気持ちは留められた。
とはいえ輝歌も困惑しており、留めた心に気がついていない。お互い言いたい事は同じなのに、この様。心とは目に見えぬことが一番の厄介である。
「あの、そうですね――なんと言いますか」
「はい……」
「あの、あの――ナユさん、じゃなくて……」
「あっ。 わ、私も“輝ちゃん”――って」
「――え!?/ /――あれ!?」
……互いに驚き、視線を合わせる。
キョトンとした相手の表情を見ていた二人。
やがて、何か面白い事でもあったのか。蓋が開いたかの如く、「えへへ」「あはは」と微笑み合った。
お友達の家に泊まりに行くのが夢だった。
登下校はいつも車で。休日は屋敷で作法や学問稽古の数々。
学内での行動も常に監視があった。だから、どのお友達も緊張を解いていなかった。
/ /
男ばかりの集団が嫌ってわけではない。女の子の友達がまったくいないわけではない。
けど、学校にも行けないこの生活。同年代で“普通の”子と知り合うなんて……。
しかも、しかも。自分の家でなんて、何年ぶりのことか。
――それだけではなく、互いに“憧れる輝き”が相手にある。いつも抱いていたモヤモヤは何てことはない。ただ、気兼ね無く話せる『友達』が欲しかっただけ。
そんな、17才ともなれば「そんなのもう飽きたわ」などとマセたことを言う時分に。この少女らはようやく、普通は珍しくも何とも無いものに触れることができた。
2階への階段横にある正方形の枠が開き、のそのそと出てくる長身の白衣。眠い目を擦る成年は風呂に入ろうと思っていたのだが、「ダ〜メ!」と奈由美に塞き止められた。
玄武は「ベタベタする〜、風呂入りたいぃ〜」と駄々を捏ねたが、奈由美はそれをあやしながら地下へ封じようと画策する。
「今は輝ちゃんが入ってるから、ちょっと待ちなさい」
そう言いながら金髪白衣を押し込む奈由美。玄武は不満気だが、奈由美は何故かとても楽しそうに、彼を地下へと送り返した。
―― 景 間 ――
動景 6、「 暴挙 」
午前3時。それは夜の暗さも極まった夜の中の夜。
光が消えたボロの家屋。
揺れるブランコ、大木の葉がざわめく庭。
煌と上空から照らされる、庭の情景と左右のビル。そして家屋。
窓が照らされる2階の角部屋。吹き込む風で騒ぐカーテンの下。普段は剛毛な虎が寝そべっているベッドに、サイズがやや小さいパジャマを着た少女が寝ている。
廊下を挟んだ対面の部屋。中ではサイズが丁度良いパジャマを着た少女が寝息を立てている。いつもと異なり、枕元には写真がある。
その隣の部屋。背の高い可憐な青年は、背を丸めて寝言を呟いた。耳にある緑のイヤホンが金属質な緑色に輝いている。
機器が停止した地下の研究室。点けっぱなしの150インチディスプレイの中で、眠らない粘土質の球体はくるくると回っている。
彼はピタリとその回転を止めると、庭にあるスピーカーのスイッチを入れた。
玄武だけでも起こそうかと彼は思ったが、下手に起こせば面倒が増える可能性もある。よって、ここは自分がサポートし、2人で対応するのが上等策と判断。念のため、完成したばかりの兄をスタンバイ状態に移行しておく。
ボロ家屋を照らすは火炎。その周囲に迸るは電流。黄金錦の袖から銀の扇子を取り出し、仮面を扇ぐ。面の形状は、“狐”。
はてさて、と首を傾げたその狐を見上げる猛獣は、微動だにせず目を見開いている。
照らす輝きが近づく庭。
【第一対外セキュリティ+防音機構を生成します】
スピーカーから抑え目な声が響くと同時。その場だけを隔離するかのように、庭は正方形の巨大な箱に覆われた。
半透明な緑色で、ガラスのような見た目。大人しく発生したその箱を金の狐は「結界か――」と扇子を揺らしながら軽く見回している。
【それでは白虎様、ガンバッテください】
・・・激励なのだが、彼の電子音声のせいもあってか、投げやりに聞こえる。きっと、朱の鳥なら「駄目だな。要勉強せぃよ」などと激を飛ばすことであろう。
とはいえ、そのようなこと。この猛獣のような青年にはどの道同じ。彼の耳にはアナウンスなど始めっから入っていない。
頭上の金ぴかメラメラが気になって気になって、、、。
何故ならそれ、とっても“強そう”だからである。
“―――ウぉぉ大オオ大オオ大オオっしゃぁぁァ嗚呼ああ!!!!!”
猛獣は咆哮した。金ぴかメラメラかつビリビリな浮遊物に向かって。威嚇ではない、嬉々とした感情が飛び出ただけである。
地面を踏みつけ、拳と拳をぶつけて喚く。
白虎が「かかって来いやぁぁぁぁああああ!!!」と拳を突き上げて咆哮を上げた直後。
“ 毘 ”
――などという一撃。音よりも速い稲妻の鉄槌は白虎を撃ち下ろし、その足元の地も弾けさせた。
「いつの世も。いるものだな、天に吠える愚かな輩は」
金の狐は「さてさて、この障壁を取り除かねば、しかしまた加減を忘れるといけない。あの小屋ごとアレを消滅させては面倒だ――――ああ、しかし。それも良いか」などと合理的にも極論過ぎる思考に辿り着こうとしている。だが、ふと落とした視線の先により神は「およよ」と呟いた。
扇子を止めて見る眼下の小さき人。それは先ほどと変わらず、拳を突き上げたまま天を見上げている。
焦げた皮膚から湯気が上がり、口からは煙を湧き上がらせているが、確かにその目は輝きをさらに増して、天を見上げている。
「なんぞ?」
狐は興味を持った。雷に耐える人間など、素では見たことはない。かつて防がれたことはある――「そうか、術を使うか。小賢しい」と仮面の下を微笑ませて「よしよし」と、頑張っているか弱き人の目線に降り立つ。扇子を仕舞い、両手を自由にもした。
その男、どうやら武具を何一つ持っていない。どこに隠したか、術の用具はあるはず。
ところがまぁ、結局は関係なし。何故なら、その身を焼き尽くせば隠すも何もないからである。
「ゼッァァ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ああ!!!!!」
白虎の咆哮が再び鳴り渡る。凄まじい声量だが、玄武印の防音機構がバッチリシャット・アウト! 裏手アパートの住人も安心快適な睡眠を続けている。
「剛なる人よ。吾(われ)の雷を耐えただけでも充分よ。後で主にも伝えておこう。まっこと、大した術士であったと……」
右の腰元に浮き合わせた両の手の平。雷の力量と炎の熱量が凝縮され、それを加速せん、と周囲の空が集う。
もはや黄金と判別することも難しい輝きはただ白く、今日落とした鳥への一撃に迫る迫力。
防護壁は急激な気圧低下と暴風、迸るエネルギーを受けて「ビ、ビ、ビ」と音を立てている。金の狐の足元では地が抉れ、舞う砂が蒸発を始めた。
地を駆る黒髪の猛獣は「回避・逃走」の概念を知らぬのか、微塵の工夫も無く強大な複合力場へと突っ込む。咆哮は暴風の音で聞こえぬが、鳴り止んではいない。
“ 吟っ ”
両手の捻りと共に放たれた莫大なエネルギー。開放された凄まじいそれは大地を蒸発させる容赦の無い円錐型の光線。天から見たその輝きは、巨大な扇に映る。
圧倒的な威光にあっけなく呑まれる黒髪の人。
放射時間は2秒と無いが、防護壁内でさらに圧縮されてしまったその威力は庭を20cm程低くしてしまった。
「呆気無きもの。下の命はそのように、古来より決めておる」
弱き存在の変わらぬ弱さに「やはり」と思いつつも残念な面持ち。
扇子を取り出し、金の仮面を冷ます。
扇ぐ風の音が狐の耳を過ぎる――が。鳴り止んではいなかったのか、その“咆哮”。
粉塵より飛び掛る全身黒焦げの人。歯は折れ髪は減り、拳は血を宙に引き摺っているが。
その猛獣はすでに地面を蹴り跳び、右の拳を十分に引き絞っている。目に光は無いが、死してはおらず。残った右の眼球は狐の面を映す。
金の狐はさすがに言葉を失った。扇子を仕舞うことも忘れ、単に目の前の獣を眺める。
猛獣の体が宙で傾く。胸筋が張り、その逞しい背筋が力を溜めた。
金の狐はその圧力に初めて“物理的な恐怖”を感じたが、すぐに気を戻し、仮面の下の顔を弛ませる。
「……よかろう、打ってみよ!」
猛獣が備える右拳打ち下ろしに必要な全ての筋力が解き放たれる。焦げても壊れない関節すら削れよ、と各部が高速で稼動した。
「吾は一時の在とはいえ、神ぞ? 領分を思い知るgっnンマッ!!??」
撃ち抜かれる拳。頭部を重く貫通し、衝撃を与えられた金の狐は後方に傾きつつも吹き飛び、地に頭と尻を交互にぶつけて転がる。意外にも“硬い”と実感できる防護壁に衝突して、転がる狐は止まった。
同時、彼方に在る他の狐共が「ん!?」と違和感を得る。
唸りながら立ち上がる金狐。着物は変わらず汚れていない。だが、その金の仮面には亀裂が入っている。
「オ……っ? うぉ……っ!」
己の仮面を撫で、異変を実感。
拳が強かったことが驚きではない。衝撃も問題ではない。1つ、尋常ではなく問題なのは仮面に亀裂が入ったこと。
おかしい。人が、弱き生き物などという輩が、神に傷を付けられる道理は無い。他の神は知らんが、少なくとも、信仰の最高位に居座っていた彼らは同じ格式の存在以外に仮面を割られたことがない。それが、それこそが『辰羅』の持つ人を支配するに相応しい天分――のはずだからである。
信仰? 血統? 様々に疑うが、どう考えてもあの猛獣は彼の知る神などではない。
「もしや……」
金の狐が亀裂の入った仮面を気にしながら面を上げると、先ほどの位置に黒焦げの人が倒れている。「もしや異国の概念か」と疑った彼だが、もはや今となってはどうでもよいこと。死んだのなら、それでよし。
それよりも今は仮面が心配である。この様子では一室や二室崩れたかも知れない。もしかしたら大黒柱に亀裂か、とも。
一刻を争う事態に、口惜しくも修復へと発とうとする金の狐。赤い球からも指示が来ている。
「おオぉぉぉ……」
集めていた風を止める。聴こえたその音が風のものか確かめたかったからである。
結果、残念なことに・・・――――咆哮は鳴り止んでいなかった!!
いつの間にやら焦げが少なくなったその獣は立ち上がっている。
代わりに皮膚の色が黒ずんでいるが、これは彼がより健康になった証。全身に浮き出た白い文様は、彼がより強靭になった証。
伸びた牙も、ざわ…めく剛毛も。法則を無視して増えた筋量、それら全て。彼がただでさえ少ない理性をほとんど忘れた証。
虎の王と書き、『虎王』。降臨したその外見は、いよいよもって人より獣に近い。燃えて消えたタンクトップは当然無く、穴の空いたパンツ一丁なので尚更。
湯気を沸かし、地を重く鳴らして歩み寄る虎。
狐は亀裂が入った仮面の下で歯を軋ませた。
「……なんなんだぁ?」
次第に前のめりになる王の姿。
「吾は、吾は神ぞ?」
地に手が着くほど前傾に。獲物が逃げないように緩急をつける。
「吾等の館は、一番に畏れられていた!」
すでに四足。ギアはトップへの段階を駆け上がっている。
「人が、か弱き人が神を殴るなど、そんな暴挙が許されると思って・・・卑畏っ
――ゃっ、やめてくれぇぇぇぇぇっっっxx!!」
後ずさる金の狐。
その胴体に視線を定め。身体を半回転させて低空を跳ぶ。
収められた白虎の右足に白い文様がより太く浮き上がる。
―― 絶対的な加速、圧力を伴い、跳び蹴りから開始される連撃 ――
“猛虎、襲来撃!!”
足刀の衝撃で防護壁に張り付けられる狐。
精精の足掻きに高熱と火焔を発するが、「構わん」とばかりに拳が仮面を撃つ。
半転で加速した肘が胸部を穿ち、続きの膝が腹部に刺さる。
この時点で既に仮面の亀裂は取り返しの利かないものなっていたが、追撃の回し蹴りで衝撃はさらに加速した。
耐えられるわけもなく、四方に弾け跳ぶ金の仮面。
露になった男性の顔もひび割れており、中から光が飛び出している。
「――あ」
口を開いていた彼が最後に目にしたのは、――――上段への拳撃であった。
突き刺さった拳が全てを決める。
金の着物の男性は全身を発光させて最後の暴虐なエネルギーを解き放った。
……しかし、所詮は残り火。轟と風は乱れたが、直撃した虎の王はそのまま拳を振りぬき、それは防護壁に激突してやっと停止した。
消滅した金の狐。ただ――――不満。誰が、かといえば白虎である。
白虎は存分に振るった戦いでとても楽しめたが、それ以上があると知ってしまったからには不満が残る。
光となった金の狐の残り灯が飛んで行く。まだ王の余韻がある白虎はその方角を察知し、そこに構える別の強大な力も知覚した。
「いる」と思ったら既に駆け出しているのがこの青年。白虎は防護壁を破壊しようと薄緑の壁に連激を叩き込む。
【アっ、ダメ! 壊れちゃいます!】
と、限界を迎えている地下室の制御システムを心配するアナウンス。【らめぇっ!】とマイクが大急ぎで解除したので、システムは難を逃れた。
ほんとうに、夜中で良かった・・・いや、良くない。むしろ危険か? 健康の為のランニングというにはテンションが高過ぎで、ファッションも原始的過ぎる。懸命に風圧に耐える穴の空いたパンツが全てなその出で立ち……。
白虎は「がっはははは!!」と楽しげな笑い声を残しながら、夜中の都市を駆け抜けた。